これまでのニュース

ハンセン病家族の認知訴訟で
最高裁が上告棄却!

 12月19日(火曜日)午前10時30分、最高裁判所第3小法廷で、ハンセン病家族認知訴訟の判決がありました。傍聴者は支援者やマスコミ関係者を含め約20人ほどでした。
 「判決を言い渡します」。開廷後間もなく裁判長の声が狭い法廷に響きました。「主文。上告を棄却する。裁判費用は上告人の負担とする。以上です」。新聞、テレビが廷内撮影する時間の半分にも満たない短い時間でした。

 閉廷後、最高裁の建物から外に出た原告の女性が、自分に言い聞かせるように「冷たい風に当たらなきゃ」とつぶやくのが聞こえました。高ぶる気持ちを静めているようでした。  
 その後、弁護士会館で弁護団から裁判に関する説明がありました。自分の父親を認知してもらいたいという願いを、死後3年経ったというだけで認めないのは、憲法13条(生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利)、憲法14条(国民は法の下に平等)に違反するという上告理由を挙げましたが、それに対しなんら説明がないままでした。判決文はたったの2枚だけです。死後認知については、法を改正し、制限を撤廃するのが世界的な流れになっているそうです。
 あまりのあっけなさに、ただ呆然とするだけでした。なにか原告救済の手立てはないものでしょうか?
 この裁判について
 原告(山川エイさん/仮名/東京在住)は、国の隔離政策によって親子関係を破壊され、未感染児童として、ハンセン病療養所の保育所での生活を余儀なくされ、その上長年の差別政策のために、父親が原告の将来を案じてあえて入籍しませんでした。 
 その後、ハンセン病患者の国家賠償請求を容認した熊本地裁判決が確定し、国がそれまでの政策の誤りを認めて、差別の是正に動き出したので、原告は、父親の死後の認知を求めて提訴しました。しかし、東京家裁、東京高裁共に、父親の死後3年の出訴期限内に死後認知の手続きを取らなかったのは、ハンセン病の差別・偏見によって、訴えを提起できない状況にあったからではなく、父親が死亡した後でも、認知を求めることが出来ることを知らなかったためであり、やむをえない事情があったためとは認められない、として訴えを却下しました。
  そこで、家裁と高裁の判決は、ハンセン病熊本判決で国の賠償責任を認めた国の政策による差別の重大性を看過していること、また親子関係の証が、DNA鑑定等により科学的に可能になった今日では、死後認知は3年以内という認知制度は憲法違反であるとして最高裁に上告中でした。

将来構想シンポジウムin青稜会館
今日が出発点-ハンセン病基本法制定に向けて
 <問題提起>
 11月11日、熊本判決を生かしたかたちでの入・退所者の将来をどのように保障し、ハンセン病問題の最終解決を図るかをテーマにしたシンポジウムが開催されました。
 全原協、全療協、全医労、市民学会代表の各パネリストから、
 ・ 法律の壁、社会の壁、政策の壁の三つの壁をどう克服するか。
 ・ 「最後の一人まで面倒をみる」という約束を、国の責任においてどのよう
  に実現するか。
 ・ 最大の問題点「社会と遜色のない医療」の実現には、らい予防法の廃止に関する法律(廃止法)の第二条  がネックになっている。
  等、問題提起されました。
 <ビデオ上映>
 入所者が減少し、自治会活動が停止してしまった奄美和光園、医師の欠員と購買力不足によって売店が閉店してしまった駿河療養所など、医療が悪化し、日常生活にも支障を来している療養所の窮状が映し出されました。
 年間平均約200人ずつ死んでゆく現状から、入所者数3000人の全国13の療養所があと何年存続するのかは、目に見えています。
「ここが第二の故郷だから、ここで生きたい」「単純なことや、ここで死にたいんじゃ」「最後の一人になりたくないから、早く死にたい」と言う入所者。
 そういう人々の声に、どう応えたらいいのか。将来構想は、今すぐに取り組まなければならない切実な問題であると、ビデオが問いかけてています。
 <パネルディスカッション>
 入・退所者が一般社会におけると同等で、遜色のない医療を受けられる権利を、国の責任において保障すべきであること、療養所を開放された共生の場にし、地域に還元するための具体例の提示、市民が当事者としてかかわる等の意見が出されましたが、それには廃止法の改正が必要になります。
 たとえ入所者が一人になっても統廃合を許さず、入・退所者が一市民として「生きていて良かった」と思える医療体制の実現、差別の壁を克服し、二度と過ちをくり返さない社会実現のために、ハンセン病基本法の制定に向って、入・退所者、全医労、市民が一緒になって市民運動を展開してゆこうとアピールして閉会しました。

命と健康を返して!

-薬害肝炎訴訟全国リレー集会-

9月9日、日比谷公会堂で薬害肝炎訴訟を支援する全国リレー集会が開かれました。舞台に立った原告の皆さんは、ひとりずつ自分の闘病生活を語りました。出産や手術の際に止血用として使われた血液凝固因子製剤のフィブリノゲン、クリスマシン、PPSB−ニチヤクによってC型肝炎に感染し、ある日突然生活が一変してしまいました。健康を奪われただけでなく、家族と離別、失業、経済的困窮、学業の継続困難、母子感染などで苦しんでいます。肝炎が進行して、肝硬変、肝臓ガンを併発している患者さんもいます。
皆さんの控え目な話ぶりから、かえって、当たり前の平穏な生活が1本の血液製剤によって奪われてしまった悔しさ、苦しさが伝わってきて、この問題はけっして他人事ではないということがわかりました。
血液凝固因子製剤を販売していたのは、薬害エイズに続いて、またもや旧緑十字(現・三菱ウェルファーマ・ベネシス)です。そして旧厚生省は、血液製剤による肝炎感染の危険性を警告せず、被害を最小限にとどめるために販売中止などの政策をとりませんでした。
2002年に16人の患者さんが国と製薬会社を相手取って提訴しましたが、薬害エイズやハンセン病訴訟と同様、社会の偏見・差別によって原告は本名を名乗ることができず、多くは匿名で闘っています。
全国のハンセン病療養所では、注射針の回し打ちを続けてきた結果、現在入所者の約3割が肝炎感染者であるというデータがあります。集会に駆けつけた神美知宏・全療協事務局長は、「ハンセン病患者とC型肝炎患者は、偏見と差別にさらされ、匿名で裁判を闘わなければならないなど、共通点が多い。製薬会社と国に対して、怒りを覚えると同時に、責任の追及をしなければならない。50年の患者運動の経験から言うと、市民一人ひとりが自分の問題としてとらえて、働きかけなければ、国は動かない」と、積極的な支援を市民に呼びかけました。
全国原告団代表の山口美智子さんは「C型肝炎患者であることを恥じることもないし、提訴したことを非難されることはない」と実名公表を決意し、127人の原告を代表して、国と製薬会社の謝罪と、早期救済を訴えています。

 断ち切ろう薬害の連鎖、つなげよう命の力を

薬害肝炎弁護団 http://hcv.jp/
薬害肝炎訴訟を支える東京学生の会HERATS
http://www.kanen.org/tokyo/       =写真の正面左から二人目が神事務局長



ハンセン病問題を知りたい
青年交流会 in 駿河療養所

写真上は分科会ごとに、テーマについて報告する参加者。写真下は駿河ふれあいセンター前で、記念写真


いまハンセン病市民学会青年・学生部会が熱い
8月26日(土)〜27日(日)


 26日〜27日と駿河療養所(国立ハンセン病療養所)での青年・学生交流会が開催されました。ボランティア歴?10年というシニアから、「関わり歴1ヵ月」という若い女性まで、全国から74名が集りました。特別参加は、2歳の坊やと、1歳の赤ちゃんです。

26日(土) 入門講座/14:00〜 講師:青木美憲さん(大阪府守口保健所)
 
 26日の入門講座の講師は青木美憲先生で、第一線の現場でハンセン病の研究と治療に当たっておられるだけあって、まず「ハンセン病とは」、次に「わが国のハンセン病対策と患者運動」について、最新の研究成果と先生が集められた豊富なデータを駆使して、丁寧に、わかりやすく解説してくださいました。
国賠裁判で原告側の証人として証言された先生ですから、終始一貫して「医療従事者は国賠裁判で訴えられなかったけれど、被告側の立場にある」という認識に基づいた講演内容であったと思います。
今後、元患者の人権を回復し、教訓を生かすには、
・疾患・患者への偏見・差別の解消
・「公共の利益」と「患者の人権」の両立
・感染症対策は「科学的」であること
 以上の点に努めることが、医療従事者としての贖罪といえるかも知れないという結論を述べて、講演を終えられました。
 講演を聞いていて心打たれたのは、誠実なお人柄と、信念をもってこの問題に取り組んでいらっしゃる姿勢でした。 青木先生が、「いま知りたい」ことを的確に解説してくださって、たいへん有意義な講演会だったと思います。
 その夜の交流会は、部屋に入り切れないほどの盛会で、廊下でいくつものグループが盛り上がっていました。初対面の人とでも、すぐに打ち解けて会話が弾むのは若さゆえかもしれません。参加した皆さんは、何かしたいとか、研究テーマなどの目的意識を持って、夜更けまで熱く語り合っていました。

27日(日)

 27日は、1.園内見学、2.「社会復帰を考える」ワークショップ、3.「取材の現場から経験談を聞く」、4.神山復生病院見学の四つの分科会に分かれました。1.園内見学のグループは、小鹿自治会長の案内がなければ、知り得ない歴史的な場所を巡りながら、駿河療養所の歴史を学びました。2.「社会復帰を考える」グループは、退所者の平野昭さんを講師に、社会復帰について参加者が意見を出し合うワークショップという形式で、活発に討論しました。3.「取材の現場から経験談を聞く」では、カメラマンの八重樫&ライターの村上の経験談を聞いたあとで、これから聞き書きに取り組もうとしている参加者から出された質問、意見について、皆で話し合いました。4. 私立療養所の神山復生病院見学グループは、病院のシスターとの面談、入所者との話し合いなどを通して、国立と私立療養所の差違、療養所の将来などについて勉強しました。
今回、この交流会に参加して、若い人たちが、それぞれの立場でハンセン病問題に真剣に、熱心に取り組もうとしている姿勢に感心しました。また実行委員会がこの交流会を成功させるために尽力されたチームワークの良さです。
ハンセン病問題のグループの中で、いま青年・学生部会が熱く燃えています。 


ハンセン病:胎児標本問題で
川崎厚労相が初めて謝罪
 全国の国立ハンセン病療養所などに強制的に堕胎されたとみられる胎児や新生児のホルマリン漬け標本115体が残っていた問題で、川崎二郎厚生労働相は14日、療養所入所者代表に初めて謝罪した。標本の中には出産直後に命を奪ったケースもあるとされ、元患者や専門家が国に真相解明を求めていた。
 国は遺族の意向を聞いた上で一体ごとに供養する方針で、厚労相が療養所に出向き、入所者らに直接謝罪した上で胎児を弔うことを検討している。
 川崎厚労相はこの日、厚労省で全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)の幹部と面会し、「今なお療養所に置かれている胎児標本が遺族の皆様に多大な精神的苦痛を与えていることは遺憾。心からおわびしたい」と謝罪した。その上で全療協が求めていた胎児の供養について「一体ごとに丁重に供養するよう指示した」と説明した。
 全療協の宮里光雄会長は「遺族などの思いを真摯(しんし)に受け止め、誠実に答えてもらった」と評価した上で、「自分の子供がホルマリン漬けになっていることを知った母親の深い傷を癒やす一つのきっかけになれば」と話した。
 胎児標本は多磨(たま)全生園(東京都)や邑久(おく)光明園(岡山県)、星塚敬愛園(鹿児島県)など5療養所と国立感染症研究所ハンセン病研究センター(東京都)に保管されていることが分かっている。【北川仁士】 毎日新聞 2006年6月14日 21時31分

追悼・上野清さん

 ハンセン病国賠裁判第一次原告の上野清さん(星塚敬愛園)が、8月10日、肺炎でお亡くなりになりました。享年85。心からご冥福をお祈りします。
 警察官だった清さんは、24歳のとき精密検査を受けるために敬愛園に来て以来61年間、療養所で過ごしてきました。
 インタビューに伺ったとき、仏様のように温厚で、口数の少ない清さんが、代弁しようとする妻の正子さんを制して、ご自分自身の口でじっくりと話してくださいました。
 正子さんとの結婚を届け出た日に断種手術を受けたことは、提訴するまで絶対に他人に話さなかったのだけれど、いずれは堕胎手術を強要されることを予想し、妻にみじめな思いをさせたくなかった一念で、その屈辱に甘んじたこと、二人一緒に社会復帰するために必死で努力したのに、願いがかなわなかったことがなんとしても無念だと話してくれました。
 ひとしきり話したあとで、「かあちゃん、酒が呑みたいなあ」と言って、今度は正子さんが話すのを聞きながら、おいしそうに焼酎を呑んでいた姿が蘇ってきます。
 命がけで闘った裁判の後、痴呆の症状が出て、戸を閉めて正子さんを誰にも会わさないようにするなどの奇行が現れたのですが、それは正子さんを守ろうとしていたのだと、正子さんは言います。
「仏の清」と言われた通り、清さんは、正子さんへの愛情を貫き通した一生を送られました。
 ご葬儀では参列者全員で「ふるさと」を歌って、清さんへのはなむけとしたそうです。
                              村上 絢子
=写真は元気な頃の清さん/2000年夏


 

ハンセン病市民学会シンポジウム/東京

 06年1月21日、多摩全生園(東京・東村山市)でハンセン病市民学会主催の「旧植民地・旧占領地のハンセン病問題」というテーマでシンポジウムが開かれました。首都圏は前夜から雪が降り積もり、足元が悪いにもかかわらず、参加者は約250人。去年10月25日、韓国は敗訴、台湾は勝訴という判決が各紙で報道されたせいか、関心が高かったようです。また韓国・台湾訴訟の集会が全生園で開かれるのは今回が初めてで、多くの入所者が熱心に聞いていました。
 基調報告で、検証会議元座長の金平輝子氏は、「旧植民地の隔離政策は歴史の中に封印されたままだったので、この裁判の意味は大きい。検証会議は、両療養所での調査によって、人権無視の隔離政策が行われ、放置されてきた実態を知った。入所者自身が勇気を出して訴えないと表層化しないので、療養所の中から情報を発信し、また外の情報も中に正しく伝える努力をして、今後再び同様の問題を起こさないよう誓うことが必要」と述べました。
 藤野豊・元検証委員は、「検証会議の2年半の調査によって、日本国内と韓国、台湾の被害が一貫していることが判明した。ミクロネシア、満州、東南アジアでの被害も解明して、補償対象にすべきだ。外務省、防衛庁、国際らい学会誌で資料調査することが今後の課題である」と報告。
 パネルディスカッションでは、藤森研・元検証会議委員は、韓国と台湾での現地調査をふまえて、原告たちの被害の実態を個々に具体的に発表。三木賢治・元検証委員は、「日本人職員が実力で入所者を管理、軍需工場と化していたソロクトの実態、韓国から宮古南静園に異動して来た日本人職員が、ソロクトでの管理法(患者虐待)を逆輸入した事実」について話しました。
 谺雄二・全原協代表は、家族一緒に隔離された当時のことを話し、「自分は台湾と韓国の原告と同じ立場に立っているはずなのに、韓国・台湾裁判では「支援者」で終わっていた。当事者として一緒に闘っていれば、もっと力を発揮できたのではないか。補償金をもらえない人たちも含めて日・韓・台の政府を動かすために自分自身も動く覚悟だ」と厳しく自己批判して、シンポジウムを締めくくりました。
ハンセン病市民学会シンポジウム
旧植民地・旧占領地のハンセン病問題
ー検証会議元委員は発言するー
         期日 2006年1月21日(土)
         時間 13:00〜17:00
         場所 多磨全生園公会堂(東京都東村山市)

     冒頭の問題提起……検証会議元座長 金平輝子氏
     基調報告1 ソロクト・楽生院訴訟の現状と国の対応……弁護団(予定)  
     基調報告2 日本の旧植民地・旧占領地のハンセン病政策
           ……検証会議元委員・市民学会事務局長 藤野 豊氏
     ディスカッション……検証会議元委員・全療協事務局長 神 美知宏氏(予定) 
     検証会議元委員・全原協会長 谺 雄二氏
     検証会議元委員・朝日新聞編集委員 藤森 研氏
     検証会議元委員・毎日新聞論説委員 三木賢治氏  
主催 ハンセン病市民学会 
〒862−8680 熊本市大江2−5−1 熊本学園大学 遠藤隆久研究室
検証会議元委員13名全員が、連名で 早期・平等補償を求める「見解」 をまとめました。これを、12月12日、 厚生労働大臣宛として疾病対策課に届け、 記者会見もしました。(元委員の一人、鮎京眞知子弁護士からのメールです)
                     骨 子
○1907(明治40)年法以来の隔離について、国の広義の 法的責任があるというのが検証会議の認定である。
○日本の誤ったハンセン病政策が楽生院や更生園の入所者等に 対し、日本内地の入所者等に対すると同等か、あるいはそれ以上 の被害をもたらしたことは、既に検証会議が詳しく検証し、報告 したところであり、この深刻な被害について、日本国が広義の 法的責任を負うことは、内地の場合と何ら異ならない。
○仮に新法の制定等による補償金支給をということになった場合 においても、
 @補償法による補償金支給の水準を下回るようなことがあって はならず、日本内地の入所者と平等の補償を行うこと、
 A迅速な補償金支給を行うこと、
を、強く要望したい。
○自国の誤った強制隔離政策に対する反省を踏まえて、日本国には、 世界のハンセン病問題の解決に向けて、積極的な役割を発揮する ことが期待される。まして、日本が負の関わりを持ったアジア等の 国々や地域に関しては、この役割はより大なるものがある。今回の 補償金支給問題は、その試金石の1つと言えよう。日本のアジアに おける望ましい未来を創造するためにも積極的な役割を期待したい。

〜少年少女向けミュージカル〜
チバリヨ
(負けるんじゃねえ)
ハンセン病への誤解、偏見と戦う
森元美代治さんの 実体験を元にした
「愛と感動」のミュージカル
川越市の川越市市民会館/11日
1時間のドラマを約400人
の観客が楽しみました。
=左上は森元美代治さん役の
平良交一さんと
美恵子さん役の神谷満実子さん
右上は両親の墓前で
問い合わせ:NPO「アバ音楽の森」
電話049-232-3630

追悼・島 比呂志さん
(作家 西日本ハンセン病国賠裁判名誉原告団長)
 05年3月22日午前4時13分、北九州市の曽根慈恵病院で逝去されました。享年84歳。
 島さんは、1918年、香川県観音寺生まれ。本名は岸上薫。 東京農林専門学校(現・東京農工大)の教師をしていて発病し、星塚敬愛園(鹿児島)に入所しました。以来約50年間、作家として執筆活動を通して、人権無視の「らい予防法」廃止を訴えてきました。
 96年に予防法が廃止されても、廃止法には国の責任について一言も明記されず、また厚生省の社会復帰希望者への保障、支援策も不十分でした。納得できない島さんは、真の「人間回復」のために、医学界、法曹界に訴えましたが、無視され続けました。そこで、90年間も予防法の存続を許した法曹界に責任はないのかと、九州弁護士連合会に申立書を提出して、弁護士の良心に訴えたところ、九弁連の人権委員会に衝撃を与え、1998年、九州からハンセン病国賠裁判が始まりました。
 第一次原告13人、弁護団137人。島さんは、第一次原告の一人で、西日本原告団の名誉団長です。2001年5月、国賠裁判は原告側が全面勝訴し、判決が確定しました。
99年、養女・昭子さんの強い勧めで、夫婦そろって北九州市の市営住宅に引っ越し、念願の社会復帰を果たしました。
「原告になって、裁判で全面勝訴したこと。社会の中で自由に生活できるようになったこと。それが自分の人生の目的であり、私の「人間回復」そのものだった」
 昨年9月、島さんを訪ねたとき、ベッドから起き上がり、闘い続けた人生について、一言一言、噛みしめるように話してくださいました。島さんの強い意志に感銘を受けると同時に、家族と暮らすなかで心がやわらいできたという言葉に、私自身、安らぎをおぼえました。(村上絢子)
  主な著書:『奇妙な国』新教出版社
       『「らい予防法」と患者の人権』社会評論社
       『らい予防法の改正を』岩波書店


控訴断念から1周年
5月23日、都内で合同追悼式とレセプション


坂口厚労相や各党代表議員の前で「無念の思いで亡くなった先輩たちの人間回復のためにも、
国はきちんと償いを 実行しなければいけない」 と語る全国原告団協議会の谺雄二会長代理


4人が社会復帰-多磨全生園ー
共同通信ニュース速報(02/4/24)
 ハンセン病元患者の社会復帰を支援するため、療養所の退所者に 生活費を支給する国の「退所者給与金」制度が四月から創設された のを受け、東京都内の国立療養所「多磨全生園」を退所したハンセ ン病訴訟元原告の森元美代治さん(64)ら元患者四人が二十四日 、厚生労働省内で記者会見し、現在の心境などを語った。
 二十四日に退所したばかりという森元さんは「もう逃げ隠れする 必要はなく、さわやかな気分。社会の中で堂々と自分の人生を生き 直してみたい」と笑顔で話し、ハンセン病に対する差別や偏見の解 消のため「啓発活動に取り組みたい」と意欲を見せた。
 三月に支援者の女性と結婚、四月二十二日に退所した男性(58 )は「これからは二人で歩んでいこうと思っている」と喜びを表し 、近く退所を予定している別の男性(62)も「療養所という狭い 場所から出て、ようやく社会で生活できるようになった」と話した 。
 退所予定の女性(64)は「療養所以外でも元患者が安心して医 療を受けられるようにしてほしい」と国に医療支援を要望した。

多磨全生園・納骨堂で
東京地区原告団の報告会

01/9/15
納骨堂で「裁判勝利と小泉首相の控訴断念」の報告をする国本衛・東京地区原告団長
報告書
 納骨堂に眠る、先輩諸霊へご報告申し上げます。
 先輩 諸霊は、世界にその類例を見ない、らい予防法によって、 強制収容され、罪人同様に、或いはそれ以上の扱いを受 け、その上で、強制労働を強いられました。
 更には、相互扶助の精神の涵養によって、二十四時間 態勢の、看護業務を義務づけられました。無残極まりな い日々はらい予防法によって、辛うじて命だけが許 されて生きる命でした。

 ハンセン病にかかったというだけで、遺骨になって もふるさとに帰ることもかなわなず、余りにも苛酷な境遇 にさらされた皆様がたの無念を背にして、−九九九年三月二十六日、私たち原告 団は、国家に対して謝罪を 求める訴訟を起こしました。裁判は、辛く苦しい闘いと なりましたが、多くの国民の支援と後押しによりまし て、全面勝訴を勝ち取るとができました。
 ようやく私たちは人間回復がなりました。それまで の長い長い暗闇の底で、自由にものも言えない世界でしたが、人間回復されたことによって、堂々と胸を 張って青い天空を全国民と共に享有することが出 来ました。
 それはまた全人類と共に、喜びを分かち合うことが出 来たということであります。
 すぐる五月二十三日の小泉首相の控訴断念は、マスメデァによって全世界に報道されました。この喜びを、 昨日、東京地方裁判所における、最終段階の公判を終えることによりまして、謹んで、ここにご報告申しあげるものであります。
 司法における闘いは、終了しました。それらは、血を振り絞って闘った弁護団や、自らの家庭を顧みず、私た ちのために全力を尽くしてくれた支援する会の皆様、 更には、法廷で身をていし証言してくださった人たち、 また、全国の皆様の励まし、そのお陰をもちまして、小泉首相の控訴断念となり、司法の場における決済はつ きました。

 しかしなから、未だ政治的な問題として私たちが求めている全面解決が残されております。
 国家として二度と過ちを起こさないよう、総理大臣の明確な新聞広告などによる謝罪や真相究明、これ からのちの不安のない在園保障や、安心して生活がで さるよう、社会復帰支援対策問題などがあります。これ らについても、全力を尽くして闘い、勝ち取ってゆきた いと思っております。
 先輩諸霊の皆様、私たちの、今後の闘いを見守ってく ださい。そして皆様方が晴れてふる里へ帰れるよう、 国に対し、或いは都道府県に対し、ただ今運動している ところであります。改めまして、人間回復がなり、名誉 が回復されたことを申し上げ、三千九百四柱の、御霊の 安らからんことを請い願い、報告とするものでありま す。
                    九月十五日 東京地区原告団一同