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「ネムリコの話」
あるとき、りつ子は体調をくずし寝込んでしまう。熱を出して、うつらうつらしていると、夢の中でも眠ろうとする自分がいる。けれど眠れば本当の自分の目が覚めてしまう。本当の自分が眠ると今度は、夢の中の自分が起きてしまう……二人はまるで表と裏のようだ。
りつ子は、夢の中の自分に「ネムリコ」と名前をつけることにした。
夢の話である。
「こうしてあたしが起きているあいだ中、夢の中のあたしは、ねむっているのかしら……(中略)……ずいぶんよくねる子ねえ」
などと、りつ子はのんびりと考えている。ほのぼのとした雰囲気がよい。実は、よく寝る子はりつ子自身だったりするので、つい私はあとでクスリと笑ってしまう。
誰の夢でも、たいがい夢の中の主人公は、自分自身だろう。だから、夢の中の自分=ネムリコは、誰もが持っていることになる。そんな当たり前のことなんだけれど、「起きているときの自分」と「夢の中の自分」が表と裏の正反対の関係にある、というりつ子の思いつきに、なるほど、と興味を持つ。
夢の世界では、突拍子もないことが簡単に起こる。たとえば、ネムリコはすいすいと空を飛ぶ。がき大将の太一は犬になってしまう。家は宮殿のように大きかったり、馬小屋のようであったり。けれどそれには、きっと現実の何かが投影されている。それが、夢。
ところが、この物語では、ちょっと違う。りつ子がネムリコを大切にするあまり、ついに夢が現実に反映されるという逆転現象が起きる。
心臓の病気を治すため、りつ子は大きな手術をする。術後は大変に苦しい。胸の痛みと戦いながら、りつ子はネムリコの夢を見る。ネムリコは夢の中で、川岸に引っ掛かったカヌーを流すためにせっせと働いたり、鯨の心臓にあいた穴を、糸と針で縫い合わたりする。すると、りつ子も楽になる。
りつ子は、夢の中の自分=ネムリコに励まされ、病気と闘う。少女趣味と言うなかれ。子供が自ら生み出した、自分を助ける術である。これは、ひとつの精神的成長の物語でもあると思う。
佐藤さんにしては珍しく、あやふやとした不安定さが何度も読んでも新鮮に感じられ、私は好きだ。
佐藤作品といえば、そのディテールの細かさ、安定感が特徴だと思っている。もちろん、佐藤作品にも奇妙な現象(ファンタジーとしての要素)はたくさんあって、とても面白い。それらは、カッチリとした舞台を背景に、さりげなく不思議が発生するところに、可笑しみがある。そう、あくまでも「さりげない」不思議が多い。
ところが「ネムリコの話」では、奇抜に自由に不思議が羽ばたいている。ちょうど、りつ子=ネムリコが空を自由に飛ぶように。「夢」の力を借りて、自由奔放におかしな話が展開される。夢の世界と現実世界が、絶妙にリンクして混ざり合うところが、ふわふわとした不思議な雰囲気を醸し出している。
闘病という重いモチーフにも関わらず、のびのびと解放された空気に満ちているところが、好きな作品である。
それから、佐藤さんがデビュー作「だれも知らない小さな国」で描こうとした、誰もが心の中に持っている大切な自分だけの世界、が、ここにもあらわれているのだと思う。
この作品、短編集や全集に収録されるばかりだけれど、単独でも美しい絵本になりそうだと思う。だれか(どこか)作ってくれないかなあ。
(03.7.6)
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