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2004年07月04日(日)  諦めモード?
来週は、参議院選挙だ。
普段、あまり真面目に政治のことなんて考えていないけれど、
投票に行く。
今のところ、欠かしたことはない。
でも、つい口をついて出る「どうせ誰が当選しても一緒」。

それって、本当に?
「どうせ一緒」なのは、自分なんじゃないの?
「どうせ、何もしない自分」
「どうせ、何も期待していない自分」
「どうせ、諦めている、自分」

政治に限らず、ごく身近にも、
諦めモードがはびこっている、この頃。
少々飽きてきたよ、この状態に。
行動しないうちから、諦めちゃって、
変に考え深くて、まるで批評家みたいに理論武装して、
でも、肝心なときにそれを発揮しないで、
陰でぶちぶち言っているばかり。
なんでもかんでも、マイナス方向に決めつけて、
悪い方に悪い方にと、邪推して、
なんでもないことを変にあげつらって、あざ笑って、
ヒガイシャ意識で、傷なめあって、
結局、疲ればかり、溜め込んでいる。

だから、なんなんだ?
暴れろ、とか、波風立てろ、とかってわけじゃないけど、
なんか、もっとやってみても、いいんじゃないの?
ねえ?



2004年07月07日(水) 泣かないために描く(見えないものを見る)
『見えないものを見る──絵描きの眼 作家の眼』読了。
絵描き=伊勢英子、作家=柳田邦男。

「ものを見る」ということ。
ただ漫然と「見る」のではなく、「捉える」ということ。
しかも、「本質を捉える」ということ。
本質と言っても、その人によって異なる。
実は、「自分にとっての真実を感じ取ること」→「自分を見つめ直すこと」なのだと。

そう。『はじまりの記憶』へ繋がっているのだ。


伊勢さんは、やっぱりすごい。
極限まで、追い求めようとする人。
自分を許そうとしない人。
その精神エネルギーはどこから湧き出てくるのか。
わたしなんか、すぐに妥協してしまうのに。

「泣かないために描いている」というところ、鳥肌が立った。
しかも、それでも泣いてしまったとき、悔しい、というのだ。
自己の精神の昇華見たいのが、絵によってなされているのだろうか。
それさえも超えて、あふれ出てしまう想いってどんなものなんだろうか。
そんな体験を、わたしもできるときが来るだろうか。



2004年07月24日(土) 歯科読書
目下のところ、歯科での愛読書は「ブラックジャックによろしく」(置いてあるから)。

ストーリーがちょうど外科編のクライマックスで、思わず泣きそうに。
待合室で、何食わぬ顔して読み続けるのにかなり苦労してしまった。

末期ガン患者にとって、「死とは?」がテーマで、
「生きることだ!」「だって、生きたいでしょう!」と主人公は叫ぶ。
たしかに、そうだ。
よく「死に向かって生きている」とか「死ぬために生きているようなもの」とか言われるけれど、「生」と「死」は表裏一体。
死んでなければ生きてるし、生きてなければ死んでいるんだから。
「どんなふうに死ぬか」は、結局「どう生きたか」なのか。

医学の進歩は喜ばしいことなんだろうけれど、
それが故にきっとこういう問題も増えていくわけで。
難しい。


その前まで読んでいたのは、「ブラックジャック」だった。
他にも、病院や医者絡みの本がたくさんある歯医者だ。
病院に、この手の本がたくさんあると、なにやら逆説的なものを感じてしまう。
もしくは、それだけ自信もあるぞ、とも読み取れるけど。
(いや、たぶん、そんなふうな深い意味はないんだろうけれど)

「Dr.コトー診療所」も置いてくれないかなあ〜。



2004年07月25日(日) 生まれ変わって
新しい日記でリスタート。

日記はおまけのつもりだったのに。
ほとんどここしか更新していない(しかもサボリ気味)。
いいのか、そんなんで?
いや、いいかあ、別に(葛藤)。


おいおい、過去の日記もこっちに移植しようかなあ。