早すぎた戦略兵器・史上唯一の”海底戦艦”

潜水艦『M』級

Submarine "M" Class (U.K.)




・ある作家の予言

 ”最も偉大な諮問探偵”シャーロック・ホームズの生みの親であり、そして英文学に大きな 金字塔を打ち立てたアーサー・コナン・ドイル。彼の活躍は探偵小説のみならず、専門分野 以外でも様々な活躍をしているが、特に軍事関連では注目に値する発言を残している。

 「危険の重大要素は新しい海戦形態の出現に潜んでいる。その新たな要因となるのは潜水艦だ

 そして1914年、ドイルは『ストランド・マガジン』に、ある小説を発表する。

 ――その物語は、目下イギリスと交戦状態にある、ノーランドと言う架空の国の首都、ブランケンブルク から始まる。ブランケンブルクの港から、1隻の潜水艦が夜の闇に乗じて出航する。その潜水艦の名前は 『アイオタ』。ジョン・シリアス艦長の指揮する『アイオタ』は8隻の潜水艦を率いてイギリス沿岸の 各都市を襲撃し、通商破壊を行い、そしてイギリスを降服に追い込む。

 この小説のタイトルは、”Danger : Being the Log of Captain John Sirius”と言う。 自らの”潜水艦脅威論”を具体的な形でシミュレイトするのみならず、近い将来起こるで あろうドイツとの戦争に向け、国民の危機感を喚起するためにドイルが上梓したものである。確かに、 わずか9隻の潜水艦隊で故国が降服に追い込まれる様子はイギリス国民だけでなく、軍部にも 大きな衝撃を与えたが、それ以上に、小説の内容は、来るべき海戦―いや、シーパワーの、と 言った方が相応しいかもしれない―の形態を予言していたのである。

 事実、小説発表後に起こった第一次、第二次の両世界大戦では、イギリスはドイツUボートに 苦しめられ、とくに第一次大戦では餓死寸前と言う所まで追い込まれている。そして、現在の大国の シーパワーの一翼を担っているのは”真意の潜水艦”と呼ばれる原子力潜水艦であり、また、 冷戦終結やソ連邦崩壊と言った時代背景、ロシアの『キロ』級潜水艦の輸出やミゼットサブ(沿岸作戦、 又は特殊任務用の小型潜水艦艇)の発達に伴い、潜水艦脅威はさらに世界中に拡散する方向にある。 ドイルの”予言”は不気味なまでに現在の状況を照らし出してもいるのである。

 さて、ドイルの小説の”主役”とも言える『アイオタ』であるが、この潜水艦は非常にユニークな 兵装を持っていた。それは、当時最強の破壊力を持っていた兵器、『大口径砲』である。イギリス沿岸都市 への攻撃がこの砲で行われたというのは想像に難くない。

 当時最新鋭のウェポンシステムである潜水艦と、当時最強のウェポンシステムである大口径砲の組み 合わせ。常に軍縮条約で戦略原潜の保有数と搭載核弾頭数が問題に取り上げられていた様に、隠密行動能力と 破壊力を兼備した兵器は、当時も今も脅威である事には変わり無い。ドイルの時代には、もちろん原子力 も核兵器も存在しなかったが、それでも、戦略原潜に相当すると言って良い潜水艦が、実は存在して いたのである。

 それが本章の主人公、イギリス海軍が1915年に計画し、1918〜20年にかけて3隻竣工した『M』級 潜水艦である。

・大口径砲の効用

 かつて、大艦巨砲時代の軍艦に、”モニター”と言う艦種があった。その詳細などについてはここ では触れないが、戦艦クラスの主砲等を1ないし2基搭載した、陸上砲撃専用に特化した小型軍艦の事 であり、見方によっては『ミニ戦艦』とも言えるフネである。時代的には、ほとんど第一次世界大戦時 にのみ存在した艦種である。
 船体の安定性を保持するために側舷は異様に低く、そして横幅も大型のバルジ(船体側面に設けら れた膨らみ。対魚雷防御、浮力保持などの目的がある)が付けられたために、艦型は異様なまでに太った 姿である。事実、低速で航洋性に乏しい艦であったが、イギリス海軍は積極的にこの種の軍艦の整備を 続け、その存在が完全に過去の物となった第二次世界大戦にも、海軍籍に残っていた4隻のモニターを参戦 させている。「モニターと言うフネは、全くの中途半端な存在でしかない。そんな物を整備するのであれ ば、正規の戦艦を揃えた方が得策である」―これも一つの考え方であるが、イギリス海軍の考えは異なって いたようである。

 この時代の”戦艦”とは、国の象徴であり、そして海戦の主力であった。また、戦艦が担うべき任務と して、その大口径砲の威力を以って行う”陸戦支援”があるが、その任にいちいち巨大な主力艦を割くと 言うのは効率的とは思えないし、得策とも思えない。そして、実際問題として、陸戦支援ともなると、 敵地の沿岸に接近して攻撃を行う事になり、そうなると小回りの利かない戦艦の巨体は甚だ不利に働く事 になる。敵の機雷原、敵の沿岸砲、敵の魚雷、これらの回避が極めて困難となるからである。

 そして、敵潜水艦も大きな脅威の一つである。潜水艦が本格的に戦争に使われたのは第一次世界大戦が初めてで あるが、それにも関わらず、驚異的な戦果をあげた潜水艦が早々に登場したからである。一例をあげると、 ドイツ海軍のオットー・ウェッジゲン大尉の『U9』がある。
 1914年9月23日、ウェッジゲン指揮下の『U9』が、わずか1時間の間にイギリスの装甲巡洋艦『ホーグ』 『アブーキア』『クレッシー』を立て続けに撃沈すると言う破天荒な戦果を挙げたのだ。英軍に油断も あり、また戦没した三艦も一線級の艦では無かったにせよ、この事件は潜水艦に対する危機感(同時に 有効性をも)を当事者に強く募らせた事は想像に難くない。

 そこで、陸戦支援だけを考えるならば、やるべき事が別にある主力を、潜在的危険が潜む海域にわざわざ 投入する事は無い。恐らく、イギリス海軍が積極的にモニターを整備した理由はここに有ると考えられる。 とにかく、他海軍に比べるとイギリスが揃えたモニターの隻数は多く、これは、敵艦を打ち破ると言う事 以外の、大口径砲の有効性をしっかり認識していた証左と言えるかもしれない。

・大胆な冒険

 潜水艦を潜水艦たらしめている最大の理由は、ひとえに海に潜れる能力―隠密行動能力―を 持っている為である。海上自衛隊の一般向けパンフレットは、潜水艦の事を”海の忍者”と称して いるが、この言葉は、潜水艦と言う物の存在を上手く言い表している。もし相手に気取られずに 行動できる能力に、大きな破壊力を組み合わせられたら…?
 陸戦支援に特化したモニターの整備を進めていたイギリス海軍だが、それに飽き足らず、モニターの 概念をさらに発展させた新機軸を打ち上げる。即ち、それが『M』級である。

 この突拍子もないコンセプトを産み出した張本人は、第一次大戦の勃発に際して当時の海軍大臣 ウィンストン・チャーチルにより現役復帰し、第一海軍卿(旧日本海軍の軍令部長に相当する 役職)に就任したジョン・アーバスノット・フィッシャー元帥である。フィッシャーは、かの”ド級戦艦” の祖である戦艦『ドレッドノート』の生みの親としても知られている。第一海軍卿としての任は1年足らず でしかなかったが、そのわずかの期間に、彼は様々な戦時建艦計画を作成した(有名な『ハッシュ・ハッシュ・ クルーザー』もこの中に含まれる)。その中に、この『M』級の建造計画も含まれていた。

 しかし、何故に「潜水艦に大口径砲」なのか?

 フィッシャーの考えはこうである。

 当時の魚雷の射程はせいぜい1000ヤード(約914m)しか無く、それでは高速でジグザグ運動をする 敵艦船に簡単に回避されてしまう。しかし戦艦クラスの砲を以って遠距離から攻撃できれば、相手に 逃げられる事も無いだろうし、砲弾のサイズは魚雷よりも小さいので、弾数が魚雷より多く搭載 できる(それに、砲弾は魚雷より安い兵器である)…というものであった。

 これを見る限りでは、『潜水モニター』と言うよりも『潜水戦艦』と言う呼称がぴったり来る。 『M』級の設計コンセプトとは、『モニター』と言う限定的な任務にしか対応出来ない艦よりも、 その特性を最大限に生かし、より積極的な任務にも就ける艦を目指したコンセプトとも言える かもしれない。

・早すぎた構想

 形を成した『M』級のコンセプトは、大戦勃発2年目の1916年に建造が開始された。

 基本設計は既に計画されていた『K』級潜水艦(余談だが、この『K』級もかなりなトンデモ 艦である)を元とされた。また、建造には『K』級から4隻分を流用する事となり、ヴィッカーズ社と アームストロング社に2隻づつ発注された。しかし、『M1』建造分に回された『K18』は既に 建造が始まっており、また、『M』級は『K』級の設計を発展させたものとはいえ、殆ど別物の 艦型である。戦争中と言う事もあり、建造は捗らず、1番艦『M1』は大戦末期の1918年7月に竣工、 残りの『M2』『M3』の竣工は大戦後の1920年、最終艦『M4』は建造中止となってしまった。

 完成した『M』級は、元の『K』級よりややスケールダウンしたが、それでも水中排水量は2000t近く にも及ぶ、潜水艦としてはかなり大型の艦となった。最大の特徴である主砲は、前ド級戦艦 『マジェスティック』『カノーパス』級と同じ35.4口径305mm砲1門(最大射程は約20000ヤード(約18km)、 射撃間隔は約80秒。照準は潜望鏡で行う)を搭載している。この砲は、潜行状態でも砲口だけを 水面に出して射撃可能だったと言うが、装填は浮上状態でしか行えなかった。

 その当時で最強の兵器であった大口径砲を搭載し、そして隠密行動が可能な最も新しい形態の兵器――それが この『M』級潜水艦の目指した物であろう。「いつどこに現われるか分からない、強力な破壊力を秘めた」 兵器が完全に完成されていたら、その力量は、正に現代の戦略原潜に匹敵するような、途方も無く恐ろしい 物となったに違いない。しかし、”いつどこに現われるか分からない強力な破壊力を秘めた兵器”と言うのは、 この当時は文字通り矛盾した存在であった。

 潜水艦の真の力は、潜行状態で完全に発揮されるべきものである。浮上した潜水艦は、それは 最早脅威でも何でもない、”海に浮かんだ只のフネ”でしかない。浮上時の潜水艦は、通常の水上艦 に比べると極めて愚鈍な能力しか持てないのである(海上での能力を「豚のような」と形容する人も いるほどである)。大気に依存しない動力を持った現在の原子力潜水艦が”真意の潜水艦”と呼ばれる 所以も、そして、それ以外の従来型動力(動力源の燃焼に大気中の酸素が必要となる)の潜水艦が ”可潜艦(サブマーシブル)”と呼ばれる所以も、ここにある。

 この点から鑑みて、『M』級の最大の特徴―隠密行動と打撃力の兼備―は、即ち最大の弱点―浮上 しないとその強みが発揮出来ない―となってしまう。しかも、潜水艦の構造は大口径砲のプラット フォームとしては不適切であり、また一方でモニターの様な安定した(太った)船型と言うのは、潜水艦 には不適切な形状である。

 砲の照準も、基本的に艦首方向にしか向けられない上に、波や風による影響の他、そしてその船型 から来る低い姿勢のために測的も着弾観測も困難であり、同様に射弾修正、保針、弾道計算、艦位の把握 と保持、ツリム維持など、現代のようなコンピュータなどの無い時代には、その使用には超人的な技量が 要求されると言っても過言では無い。恐らく、海面が、それこそ絵に書いたようなベタ凪でも無い限り (或いはベタ凪であっても)、『M』級の主砲はろくに撃てたものでは無かったであろう。潜行状態で 砲口だけ出したとしても、それでは浮上時以上に射撃は困難であったろうし、また装填するのにいちいち 浮上しなけらばならないで、全く意味を成さない。

 1922年の演習にて、『M』級は最新鋭の巡洋戦艦『フッド』と相対する機会を得た。この時、『M』級は 『フッド』に主砲1発、魚雷4発を”命中”させ、その戦闘力を”喪失”させる成果を挙げられた。しかし、 この時の射程は魚雷と同程度、即ち900mほどでしかなかった。言って見れば、ド級艦クラスの主砲を搭載 したメリットは全く発揮されなかったのである。

・M級を継ぐもの

 結局、M級は実戦で必殺の打撃力を見せ付ける事なく、1921年のワシントン軍縮会議の制限(潜水艦の備砲の 口径は8インチ(約203mm)までとされた)により主砲を撤去され、そして『M2』は(のちの伊-400型の様な)実験的 航空能力潜水艦へ、『M3』は機雷敷設潜水艦へと改装された。その後、『M1』『M2』は事故で沈んで しまうが、残る『M3』は1932年に除籍解体された。その後の潜水艦は、その殆どがそれから暫くは隠密性を 最大限に発揮できる通商破壊戦に従事する事になる(ごく一部は艦隊決戦や本格的な航空能力を志向したが、 それらの殆どは失敗に終わっている)。
 その見地から言うと、『M』級のコンセプトとは、その着眼点はともかくとしても、「アイディアが現実の 技術を無視している」としか言いようの無い、全くの「机上の空論」でしかなかった。

 しかしである。この『M』級の発想は、完全に死んだ訳ではなかった。『M』級の目指したものは、第二次大戦後に 『弾道弾原子力潜水艦』―いわゆる”戦略原潜”―と言う形で、よりドラスティックに実現したのである。文字通り 一つの都市を一発で消し去る事が出来る兵器を、完全な潜行状態で発射可能なこの兵器は、現在の主要国の海軍の シーパワーを象徴する存在となっている。もちろん現在の戦略原潜と『M』級とは、完全なイコールで結ぶ事は 出来ない。しかし、それでも、戦略原潜は、『M』級が果たせなかった”夢”を実現した存在のように思えるのである。

 そして、それは冒頭で言及したドイルの予言をも実現している。一歩間違えると世界を滅ぼしかねない、”危険の 重大要素”として――。


・参考文献


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