韓さんと菅笠のハルモニ(左)、写真下は握手する姜さんと(右)と康さん

4月28日
京都市・休養日
 ちょうど「朝鮮通信使来日400年記念特別展=誠信のまじわり=」が高麗美術館で開かれていた。
 バスで約1時間、旧知の姜鐘昭さんが迎えてくれた。姜さんは京都に住み、毎年私たちウオーク仲間が行っている中山道ウオークのサポートを続けていただいている。館内に入ると、貴重な資料が展示されていた。中でも初期の朝鮮通信使の頃、大きな問題になった「国書偽造事件」で朝鮮国王が徳川幕府に送った国書は、価値のある資料で宣さんも興味深そうに見入っていた。通信使来日の条件の一つは、日本側から先に国書を送る、ことだった。ところがこれでは時間がかかりすぎる、と考えた対馬藩は、勝手に国書を書き換えて朝鮮に送った。そして通信使の派遣が決まり、第一回の通信使が持参した国書を将軍に見せる前につじま合わせのため再度偽造した。1633年にこの偽造が発覚した。家老の罪として処分した三代将軍家光は対馬藩をそのまま朝鮮との交渉の担当を継続させた。また日韓の位置を描いた地図は韓国側から見たもので、「見方」の違いが表現されていた。(写真中)静かな住宅街には軽トラックで野菜を売る、菅笠姿のおばあさんがいて、韓さんは早速、記念撮影。
 午後からは関連イベントの記念対談「朝鮮通信使来日400年の歴史的意義」と題する記念対談を聞いた。子どもたちによる「サムルノリ(伝統音楽の農樂)」が演奏された後、鄭喜斗・高麗美術館常務理事の「隣り合う国が200年以上戦火を交えなかったのは世界史的にも例が無い」という、あいさつで始まり、今年行われる400年記念事業のさきがけとして、我々のチームが紹介された。上田正昭・京大名誉教授と仲尾宏・京都造形芸術大学客員教授)の対談が行われ、今後の研究課題として「文化8年で朝鮮通信使は何故終わってしまったのか(上田教授)」「明治政府の東アジア外交に対する無知と朝鮮通信使の善隣友好の足跡が何故消されてしまったのか(仲尾教授)」が提起された。会場は階段に坐ったり、立ち見の人が出るほどの盛況で、感心の高さを示していた。
【朝鮮通信使・よもやま解説3】
江戸時代、幕府の学問にも朝鮮通信使が大きく影響を与えていた。文禄・慶長の役で朝鮮から連れてこられた人々の中に印刷の技術職人がいた。13世紀末、世界で始めての活字が朝鮮で作られました。秀吉はこの活字を持ってくるように命令。約20万本の活字と共に多くの印刷職人も連れてこられた。この活字は秀吉に献上され、今でも凸版印刷に保存されている。連れてこられた人の中に、「姜」という朝鮮王朝の著名な儒学者がいて、当時日本でもよく知られていた。高名な儒学者・藤原惺窩が弟子になった。この藤原の弟子に林羅山がおり、羅山はその後家康に使え、代々林家が幕府の御用学者として学問を指導した。 =井上幹夫(事務局・学術担当/桜美林大学講師)

★「よもやま解説」の参考および引用文献
※「朝鮮と日本の歴史」久保井規夫著 明石書店
※「日朝交流史」李進熙・姜在彦著 有斐閣選書
※「朝鮮通信使と福山藩・鞆の津」その一、二
※「秋季国際学シンポジウム」朝鮮通信使文化事業会
※「日本と韓国・朝鮮」鈴木英夫・吉井哲編著 明石書店
※「朝鮮通信使」日韓共通歴史教材制作チーム 明石書店
※「朝鮮通信使の旅」辛基秀・仲尾宏 明石書店

4月27日
枚方市ー京都市
 宿近くの公園で、大阪・関西歩け歩け協会副会長の稲垣高子さん(74)の指導でストレッチ体操。「60才でウオークを始めました。最初の長距離ウオークは足を引きずりながら歩きました。きっかけはいろいろですが、長く続けることが健康の秘訣です。みなさんがうらやましい」と話す。一口韓国語は「チグン ミョシムニカ(今、何時ですか)」。今日のデイリー参加者13人が加わり、ヒンヤリする中、コースリーダーの畑中さんを先頭に午前8時25分にスタート。30分ほどで淀川の土手に上がる。気温は18℃。河川敷にはゴルフ場、畑には菜の花とレンゲ畑が広がる。実にのどかなウオーク日和。このあたりは昭和38年の大洪水では土手の高さギリギリまで水が押し寄せたそうだ。犬の散歩やランニングの人たちが行き交う。「左の山が天王山です」と畑中さん。豊臣秀吉が明智光秀を破った有名な山の名前だが、意外と低山で、教えられないと気がつかないような山だ。
 2時間後、京阪葛葉駅でトイレ休憩。国道13号に合流する。歩道は白線で分けられただけで狭い。一列歩行の指示。右下に旧街道の京街道の街並みが続いている。木津川を渡る。「KIZUGAWA RIVER」の看板を見た宣さんが「カナイさん 変ですよ」という。KIZUGAWAと川の表記があるのに、RIVERがつくのは、「だぶっています」という意味だ。なるほどとうなずく。川岸の土手には桜並木が続く。この土手は電柱がないので時代劇映画のロケに良く使われたそうだ。昼前に淀城址に到着。(写真下)朝鮮通信使はこのあたりで川舟から降りて陸路、京を経て江戸へ向かった。石壁には鯉のぼりがたくさんつながれ、風に泳いでいた。
 ドライブインのレストランで昼食。久しぶりにカツカレーと缶ビール。伴走車ドライバーの小瀬古さんが畑中さんと午後のコースを地図を見ながら打ち合わせ。(写真中)名神高速・京都南インターチェンジにかかると、歩道はあるのだが、インターから出てくる車線を渡る横断歩道が無い。韓国の道を歩いていると、インターチェンジでは毎度のことだったが、日本でも同じような場所があったのには驚いた。旗を横にして車を止めて横断した。(写真上)東寺の五重塔を過ぎ、新幹線のガードを抜けると、朝鮮通信使の宿所だった西本願寺が左に見えてくる。五条大橋からは河川敷の歩道を北に進み三条大橋へ。対岸の河川敷では旗を振りながら到着を待つ人たちの姿が見える。京都府ウオーキング協会森田会長と「J落零ウオーキング倶楽部」の中安会長ら8人が出迎えてくれた。歩行距離は31キロ。
【朝鮮通信使・
よもやま解説2】

事務局・学術担当の井上幹夫さん(桜美林大学講師)の朝鮮通信使についての解説を随時掲載します。
昨日は本文の中に入れましたが、今日からは独立させて、2回目とします。
2回目
 淀から上陸した一行は城にあった水車(淀川から水をくみ上げて城の水に使っていた)を見て驚いた。自分の国でも作りたい、という感想を残している。一行500人のうち100人は大阪に残り、船の修理などに当たった。400年前の第1回の通信使たちの通る沿道にはたくさんの歓迎の人々が並んでいた。その後ろの方に数人が手ぬぐいを顔にあてて泣いていた。馬上の副使は、この人たちは朝鮮から連れてこられた女性たちに違いない、とすぐに気づいた。文禄・慶長の役の10年後だった。京に向かう間、その人数を数えると147人に達した。秀吉は家臣たちに、十代の若く美しい女性を連れてくるように命令していた。宿所に副使を訪ねた女性がしきりに故郷のことを聞くので、「日本の侍たちに連れてこられたのか」と聞きただすと「そうです」と答えた。副使は「あなた方を連れ戻すのが役目の一つだ」と話すと、傍らの子どもを呼び寄せ、「この子の親は日本人なので、朝鮮にはかえれません」と泣きながらに答えた。焼物、印刷の技術者、農民、女性など約2万から5万人が連れてこられたと考えられている。豊臣軍の約半数が死んでいるので、農民は代わりの耕作者として連れてこられた。この人たちのうち6回にわたり帰国したのは合計で3000人ほどにすぎない。

4月26日
大阪市ー枚方市
 いよいよ国内ルートの歩行が始まった。
朝からすっきりと晴れ渡り、新緑が美しい。朝食後、ワゴン車に荷物を積み込む。車は隊員の森智彦さんが提供、鏡子夫人が愛知県から運んでくれた。森夫妻に「カムサハムニダ」。ドライバーは小瀬古節夫さんで隊員の嶋文子さんの知人。小瀬古さんは友人2人とチームを組み、交代で運転を担当してくれる.小瀬古チームに「カムサハムニダ」。そしてナビゲーターは桑原繁さん。76才で、今回の隊員の中で最長老。白いヒゲをのばした、通称「黄門さま」。大阪から参加し、ウオークとナビの二役をこなす。「カムサムハムニダ」。何とか全ての荷物を積み込めた。まず今夜の宿まで運んで降ろしてUターン。次には伴走車として、サポートする。
  一日参加のウオーカー13人が駆けつけてくれた。韓国からやって来た朴ユンヒさんは宣さんの友人で韓国・東国大学の教授。数日間歩く。旧知のウオーカー、清田夫妻、畑中夫妻、浜田さんの顔も見える。畑中さんは今日のコースリーダーで、下見もしてくれた。清田さんはしんがり役を引き受けてくれた。「一口韓国語会話」が復活。@「パンガス ミダ(お会いできてうれしい)」、A「チャル プタカムニダ(どうぞよろしく)」。
 井上さんが今日のコースの背景説明。朝鮮通信使が書いた文献によると、ソウルから大阪までには5ケ月もかかっている。一行は瀬戸内海から大阪に上陸、川船に乗り換えて、淀川をさかのぼった。各藩が用意した漆塗り、金箔つきの豪華船11隻、案内・警備の船90席を両岸から一隻あたり、70人の引き手が引っ張った。何故淀川をさかのぼったのかについては定かではないが、幕府の権威を通信使一行と民衆に示すためと、考えられている。
 日本ウオーキング協会大阪本部の池田会長の激励を受け、ストレッツチ体操をして8時15分出発。地下鉄の駅からあふれ出てくるような通勤の大勢の人たちが行き交う御堂筋の歩道を北に向かう。旗をかざして進む集団を見て、怪訝そうな顔つきの人もいる。車の騒音が激しい。警察官に「アンニョン ハセヨ(こんにちは)」と声をかけても、反応はない。韓さんは「ポーカーフェイスだね」と感想。宣さんは韓国の習慣(人は左側通行)ですぐに左側を歩こうとしてしまう、と苦笑。堂島川の歩道を進む。池の亀が並んで甲羅干しをしている。コンビニで昼食のお弁当を買い込む。新緑の並木が朝の光を受けてとても美しい。警察官が追いかけてくる。「何事ですか。責任者は」とたたみ掛ける。小林さん(日本側隊長)が説明する。警察に「旗を立ててデモをしている」と110番通報があり、確かめに来たそうだ。宣さんは「大阪のような大都会の中に、こんなに緑の多い道があるなんて。豊かな証拠で素晴らしい」と日本の初日のコースの印象を話す。今日も在日の康静春さんが横を歩き、通訳する。風邪気味だが、大阪までの参加を東京までのコースに変更して頑張る。
 10時半、淀川の土手に上がる。ここからは枚方まで、淀川の土手を歩く。大きな堰がある。かつて淀川はここからは蛇行して大阪湾につながっていたが、明治18年の大洪水後、まっすぐに大阪湾につなげるため開削された、と畑中さんが説明する。韓国旗を持って自転車に乗る男性とすれ違う。民団新聞をみて、「何か応援出来ないかな」と旗をかざして勇気づけに来たそうだ。土手下で測量実習をしていた大阪工大の学生たちが手を振る。ヒバリのサエズリが聞こえるのどかな春の土手道に風が渡り、気持ちがいい。巨体の韓さんも何とかついてくる。実は大きな体なので、3キロが限界、と聞いていたのだが、、、。「イッツ オーケー。バット、マイオ-バーペース」と英語で話す。なぜか私のカタコト英語が通じるので、私との会話は「英語」。芝生におりて昼食。頑張った韓さんはここからはワゴン車チームの一員に。ワゴン車チームから連絡が入る。「部屋がまだ空いていない」という理由で、荷物の受け入れを断られた、というのだ。予約時にはOKとの約束なのに???。やむなく少しだけ降ろして、二人分の座席を確保してあるという。午後2時、にわかに暗くなり雷鳴、稲光。旗は金属ポールにつけてある。落雷を避けるため、ワゴン車に積み込んだ方が安全と、しんがり役の清田さんにワゴン車への積み込み役を引き受けてもらい、進む。   
 1時間後、枚方宿の入口で国道に合流し、空き地でストレッチ。京都から大阪までの旧・京街道の情緒が残る町並みを進み、枚方駅前でゴール。歩行距離は28キロ。一日参加者に参加証を渡して、ウオーキング協会大阪本部差し入れの缶ビールで乾杯した。