4月19日
梁山市熊上邑-釜山
 いよいよ韓国内の最終日、釜山ゴールの日が来た。今日の一口韓国語講座は@「アンニョンヒ ケセヨ(さようなら=送られる人に対して)」、A「アンニョンヒ カセヨ(さようなら=送る側から)」。スタート地点の熊上小学校には宣さんの中学校の恩師、ヨン・トックスン先生(73)が激励に訪れた。今でも中学の女性校長をしているという。
 今日は警察のパトカーに加えて警備会社のガードマンも安全のためにつく。国道7号線を南下。2キロ地点からは体育振興会の呉・釜山支部長が加わる。2年前にプレゼントした韓国一周友情ウオークの帽子をかぶっての応援。歩くスピードは早く、時速5・5キロを上回るペースだ。なかなかガソリンスタンドが無く2時間歩いてようやく小学校でトイレ休憩。昼過ぎに釜山の市街地に入る。
 午後1時過ぎ昼食。「セッサビビンバ」という野菜のまぜご飯で、ヘルシーで人気が高いそうだ。午後2時45分、かつて朝鮮通信使が通ったという道を進むが、往事をしのぶような痕跡はまったく見当たらない。午後3時40分、東区の明倫小学校に着き、パレードまで待機。4時半、警察のブラスバンドの先導でパレード出発。「21世紀の朝鮮通信使」の旗や韓国旗をかざして進む。(写真中)テレビ、新聞のカメラマンたちがたくさんつめかけている。何事か?と、市民が歩道や商店の前で見つめる。拍手してくれる人もいる。
  繁華街の市場に入り込む。買い物の市民で混雑するこの狭い通りが、かつての朝鮮通信使が通った古道だという。17世紀に出来た「忠信堂」という扁額のかかる古い盾門に入る。朝鮮通信使の時代、今の市役所にあたる仕事をしていた建物。
  5時前に東区役所にお到着。一人一人にバラの花が一輪プレゼントされた。(写真上)歓迎式の後、6階の講堂で、慶星大学の姜教授が「朝鮮通信使の現在的意味」と題して講演。「二国間の文化というのは一方だけからの働きかけではなく、国同士・双方からの相互作用が大切。朝鮮通信使も、朝鮮からだけの文化の影響ではなく、受け入れる日本にも高い文化水準があったからこそ成り立ったものです」と結んだ。バスで移動し、温泉の中心街にある「足湯」につかり、お茶でカンパイ。(写真下)疲れきった「足」に感謝し、釜山ゴールを喜びあった。韓国朝鮮通信使文化事業会主催の夕食会では、釜山ゴールと明日からの日本のウオークの健闘を祈って乾杯した。

釜山に到着した一行。左が宣会長。右が金ちゃん、その左がオッパーさん。
(オッパー掲示板から。かめさん撮影)
4月18日
蔚山市ー梁山市熊上邑
 モーテル隣の食堂で「豆もやしとタラの辛味スープ」の朝食。今日の一口韓国語会話は@「ターモイセヨ(みんな集まってください)」、A「チュルパル ハムニダ(さあ、出発します)」。曇り空、15℃。市庁を午前8時出発。蔚山は大都市だけに市街地が長い。新緑の並木道を進むと左手にワールドカップの会場が見えてきた。植栽された濃いピンク色のツツジの花壇の横をウオーキングやランニングする市民の姿が目立つ。大きなサッカーボールのモニュメント(写真左)や歩道にボールの飾りが置いてある。日韓の競技場で開かれたウオーキング大会に参加した川田さんは懐かしそうだ。丘陵地帯のリンゴ畑に白い花が咲き、路上ではトラックにばら積みされたリンゴを売っている。
 午前11時トイレ休憩。歩きだす前に、こぶしを上げて気勢を上げる「ファイティング!」。(写真左)国道7号をひたすら南下。今日の歩行予定は25キロだが、歩くスピードはかなり速い。途中からはパトカーが最後尾について安全点検をしてくれのだが、写真を撮りながら進む私はすぐ「ビリ」になる。バイパスとのインターチェンジではだいぶ送れたため、警察官から「パリパリ(急いで)」との指示が出てしまった。今日も足の痛みや体調不良のため伴走車やワゴン車に乗る人が数人いるが、時折車から降りて歩く。ところがやはり痛みがあり、また車に戻る。「歩きたい!」という「心」、と自分の足や体調との「体」の狭間の中での「葛藤」が続いている。変化のない単調な道なので、時折睡魔が襲う。眠い、眠い。
 午後1時過ぎ慶尚南道に入って昼食の「ビビンバ(混ぜご飯)」。今朝、韓さんに「毎食メニューが違うので食事を楽しんでいるが、代表的なメニューがまだだよ」といったら、「???」と目をぱちくり。「ビビンバ」というと、「わかっているよ」と片目でウインクしていた。そんなわけでもあるまいに、なかなか美味しいビビンバだった。
 午後3時すぎ熊上小学校にゴール。子どもたちは下校した後だったので、校長先生があいさつ。「この学校は1927年創立で、初代から5代目までの校長は日本人でした。みなさんは朝鮮通信使のように両国の友好のために頑張ってください」と激励された。そして駆けつけた梁山市の女性職員たちから花束が贈呈された。2キロ歩いてモーテルに着く。
 ここ梁山市は釜山から約30キロの場所のため、ベッドタウンとして膨張を続けていて、丘の上には高層アパートの建設工事が盛んに行われている。今日も分宿。インターネッツトを使う人たちは50メートル離れた宿に。今日は太田さんと相部屋。部屋の中は広く、ベッド以外のスペースもゆったりしている。夕食は近くの食堂で副市長主催の食事会。市職員一人が来て、副市長は仕事で来れませんが皆さんで楽しんでください、とあいさつして帰った。メニューは「キノコのシャブシャブ」。食事後は明日の釜山ゴールで、支援を終える4人の体育振興会スタッツへの感謝の会に移る。まず小林隊長から感謝の寄せ書が、林さん、慮さん、鄭さん、柳さんに送られ、花束が贈呈された。(写真下)慮さんは涙ぐむ。日本民謡や韓国の歌の後、女性隊員が花嫁姿に「変身」し、くじに当たった男性たちとの「にわかカップル」になり、笑いの渦のなかで韓国式の結婚儀式を行った。最後に「アリラン」を合唱し、支えてくれた4人に感謝した。さあいよいよ明日は釜山ゴール!

オッパーこと川田茂さんから写真便りが届きました。
21世紀平成の朝鮮通信使ウオークに参加しています。ソウルから釜山、対馬、博多、大阪、東京までのコースです。4月1日ソウルを出立して460キロ歩いて慰山(ウルサン)に到着しました。5月16日東京の皇居を目指して元気に歩きますのでご声援ください。

指示(左)、危険な道(下)
4月17日
慶州市外東邑ー蔚山
 昨夜は初めて二軒のモーテルに分宿になった。
私が泊まった国道に面したモーテルのおやじさんは元浦項市の職員で、賃貸してモーテルの経営を始めて2年目。モーテルの経営は立地条件で違い、景気は横這いで、もう少し良くなればという。朝食は「へチュグルクッパ(海草とカキのスープ)」。「これで51食目だが、今まで同じメニューはない。さまざまな韓国料理を楽しんでもらいました」と韓さんが朝のミーティングで説明する。また今日の国道7号線は大工業都市・蔚山へ向かう大型トラックが多く、旗手は特に旗が接触しないように気をつけて歩いてください、と注意を喚起。
 9時過ぎにスタート、気温は10℃。歩行は車と同方向の端っこを進むが、後ろから轟音と共に大型トラックが通り過ぎる。車道との間には白線だけで、段差もない場所がほとんどだ。宣さんによれば、歩行者が白線から車道側に入って起きた事故の場合、歩行者側に責任がある、と判断されてしまうので怖いですよ、と説明する。10時過ぎにガソリンスタンドでトイレ休憩。ここからはパトカーが最後尾につく。前の方から一列歩行の支持が出る。車にはパトカーからも助手席の警察官が手を上げて、センターラインの寄るように指示が出る。(写真上)土手にあるサイクリングロードに入り、ほっとする。田んぼにはシラサギが群れている。
  突然、轟音と共にジャンボ機が空に向かって大きな姿を見せた。蔚山空港が近いようだ。蔚山の市街地に入り、午後1時半、昼食。「へムル カルククス シャブシャブ(海鮮シャブシャブうどん鍋)」は辛味スープの中の魚や貝を食べ、牛肉をシャブシャブで食べ、うどん(きしめん風)を入れて食べ、スープを出した後にご飯を入れて焼き飯風に食べる。なんとも贅沢なお鍋だ。ゴールの市役所近くで、地元の月平中学校の男女生徒約100人から握手攻め。(写真左)日本語で「コンニチハ」「ガンバッテクダサイ」と激励されて皆顔がほころぶ。午後3時半ゴール。歩行距離23キロ。
 夕食は港にある「鯨料理」。ここ蔚山は戦前は日本の水産会社の捕鯨基地があり、戦後も韓国の水産会社が捕鯨を行っていたが、現在では捕鯨を行っていない。2年前には国際捕鯨委員会の総会も開かれた。蔚山の港から内陸に入った洞窟からは大昔のクジラの線画が見つかっている。どんなクジラ料理かと楽しみにしていたら、何と刺身やゆでた内臓がそのまま味付けせずに出てきたから驚く。(写真左)クジラには少々うるさい私(かつて新聞カメラマン時代に南氷洋捕鯨の取材を行い、クジラ肉三昧の生活をしたことがあるので)もさすがに驚いた。食べてみると、油っけが強く、これはミンククジラかなとおもうと、やはりそうだっつた。メニューの名前には「ミンク」と記されていた。現在商業捕鯨は禁止されているのだが、伝統食を守るため、調査捕鯨国などからの輸入だろうと、想像した。いいよ釜山ゴールが2日後に迫ってきた。