![]() |
![]() ![]() |
| 5月6日 豊橋市ー浜松市 天気予報通り、朝から雨。中山道ウオークの常連、金是在さん、和田晃さん、渡辺博道さんらがデイリー参加。竹樋夫妻の「ファイティング!」の檄に送られて8時スタート。コースリーダーの森さんが急用で帰宅したため、阿部鐐次さんが代役を引き受けた。そこに地元のコースに詳しい高橋稔さんが加わり、二人が先導。歩道に植えられたツツジが雨に濡れて美しい。イエンナリアガシ(昔の娘さん)二人がおそろいのディズニーに身を包んで進む。(写真下右)9時半、旧東海道沿いにあるJR二川駅でトイレ休憩。ここでデイリー参加の尾崎和市さんが歩き止め。昨日までの3日間、東京スリーデーマーチに参加したが、このウオークにとにかく参加したいので、短い距離だが加わったそうだ。 国道1号に出ると、容赦なく水しぶきを浴びせながら、車がスピードをあげて通過して行く。コンビニの前で、男の人が「新聞でみたよ。頑張って」と激励してくれる。キャベツ、タマネギの野菜畑が続き、ジャガイモの花に水玉が光っている。(写真下左)昼過ぎ新井宿に入ると、先ほど離脱した尾崎さんが軽トラックで待っていた。「ここからが新井だよ。関所までもう少し」と声をかけてくれる。崔さんの左膝の状態が悪く、軽トラックに乗せてもらう。 「新居の関」跡を過ぎて、午後1時ようやく食堂に到着。伴走車の桑原・小瀬古組が探して予約してくれていた。ここに現れたのが、松井富貴子さん。新井町の文化財審議委員で朝鮮通信使の研究もしている。「新聞で見て、ここを通るだろうと待っていました。新井町は戦災を受けなかったので、資料がたくさん残っています。一行はここで船に乗り、舞阪まで行きました」と資料を手に説明してくれた。崔さんが日本語で質問すると、目に涙を浮かべて応じていた。 ここで二日間歩いた韓国・ソウルからの参加者、金東聖さんが帰国するため、みんなと握手して別れた。東聖さん、カムサハムニダ。昼食後、久しぶりに風邪が良くなった韓さんが歩く。旧道の松並木が続く。700メートルの間に330本が植えられている。東海道には中山道ほど「旧街道」の趣きが残っていないのでは、と思っていたが、松並木はたくさんあるし、古い家並みも残り、なかなかいい雰囲気で迎えてくれる。午後3時半、ようやく雨が上がる。4時半、JR高塚駅でトイレ休憩。少し前から左足に痛みを感じたので、私はここから一駅だけ電車で浜松駅に移動、「故障者リスト」入りした。浜松駅南口で待ちうけ、午後5時40分到着。歩行距離は、今回最長の41キロ。 |
| 【朝鮮通信使 よもやま話】 ここ数日は通信使一行と同じ日程で同じ距離を歩いている。 吉田(豊橋)の宿所を出た一行は二川宿の本陣を過ぎ、塩見峠を越える。峠からは遠州灘が見え、白須賀を過ぎると新居について昼食。新居の関は箱根と同様に東海道で重要な関所。ここで淀から通信使の荷物を運んで来た人馬が交代する。人足が延べ33万人、馬が77、600頭で、人馬の調達費や宿泊にかかる費用は毎回100万両にもおよび、幕府財政の1年分で、これらの費用は諸大名に課せられた。 浜名湖はもともと淡水湖だったが、1498年の地震と津波で陸地が分断され、その後も数度の地震、津波で現在のようになった。これを「今切れ(いまぎれ)」という(西村鞠子「日本見聞録に見る朝鮮通信使」より)。 今切れの渡しでは、第4回の通信使が帰路浜松に到着した時、江戸から将軍家光の命で、江戸滞在費の残り約千数百両が届けられた。通信使一行は異国から金品を受けることは禁じられているため、軍官らによって今切りの海中に投げ捨てられた、といいわれている(「使行録」より)。 |
5月5日 岡崎市ー豊橋市 今日は駅から離れているため、ホテルが出発場所。愛知県ウオーキング協会の伊藤会長やウオーク仲間の新ちゃん(新沢義博さん)も参加。宣さんは「岡崎は徳川家康が生まれ育った場所として、朝鮮通信使には特別の意味があります。韓日間にはさまざまな問題がありますが、この21世紀の朝鮮通信使友情ウオークを通じて、友情を更に深めましょう」とあいさつ。日韓の交流をしている「平和統一連合」岡崎支部の婦人たちからタオルが提供された。 |
![]() ![]() |
| 今日の一口韓国語は@「オジソ オショスムニカ(何処からこられましたか)A「〜エソ ワッスムニダ(〜から来ました)」。デイリー参加者18人が加わって8時10分スタート。金東聖さん(写真下左)がコースリーダーの森さんと並んで先頭を歩く。歩道では朝市が開かれている。1と5の日に開かれるそうだ。魚や野菜を並べたテントにはお客さんが並んでいる。並べられた魚を見た女性隊員たちが「安いなあ。買いたいけど買うわけには行かないし、、、」と主婦の顔をのぞかせる。大型連休で車の数はとても少ない。藤川町(岡崎市)の松並木が続く。さわやかな風が渡る。10時、お寺でトイレ休憩。 このところ風邪気味の隊員が多くなり、少しの間でも横になる人が目立つ。たまった疲労で抵抗力が弱くなっているようだ。歩きながら「ファイト!」と檄を飛ばす元気者のオッパー(川田茂さん)も横になって休憩。(写真下右)連続参加の竹樋さん夫妻が、家で作って来た、冷凍の果物をみんなにすすめる。冷たくおいしい。田植えを終えた田園風景が広がる。久しぶりに農村を歩く。旧道に入り、通り過ぎたパトカーから降りた警官が「どこまで行くの?」とニコニコ顔で「職務質問」。チラシを渡して説明する。 12時半、御油(豊川市)の松並木が続く公園で昼食。昨日案内してくれた鈴木さんから提供された、八丁味噌付きのおにぎりをいただく。旧道の河川敷では子ヤギが母ヤギのお乳を飲んでいる。午後3時半、豊川の堤防に出る。川の中ではたくさんの人たちがシジミ採りをしている。韓国の川でもよく見かけた光景だ。4時過ぎ豊橋駅にゴール。歩行距離は33キロ。ゴールデンウイークを利用して7日間連続参加の竹樋夫妻は231キロを歩いた。(写真上)毎日のおいしい差し入れや黄色い小旗を使っての交通整理に感謝!感謝!。 |
| 【朝鮮通信使 よもやま話】 一行が宿所を出発する時間は、早い時は夜明け、または日の出と書かれ、朝食を済ませ午前6時には出発している。大平川を渡り、藤川の宿を過ぎて、赤坂で昼食をとっている。第10回の場合、接待を受けもったのは三河の大名・土井利信。 所有する休憩所の茶屋の庭には「モミジやツツジがきれいに剪定されている」と記されている。土井利信は一行をねぎらうため、茶屋に挨拶に出向いている。小坂井村で休息し、吉田(豊橋)に着いたのは夕方で、町中を通ると見物の男女が多く集まって「その熱気に圧倒されるようだ」と書かれている(「奉使録」)。宿所は吉田で最も大きく格式の高い悟真寺だったが、この寺は昭和20年の空襲で全焼し、記録のほとんどが焼失した。清見寺(静岡市・清水)を除いて東海地方に資料が少ないのは、戦争の被害が大きいことと関係している。 また「日本人は茶を好み。真夏でも熱い茶を飲み、道端に茶店が多い」とか、「風呂を好み、家々には浴槽を備え、町には風呂屋があり、日本人は沐浴をすすめる」と記されている。(西村鞠子「日本見聞録に見る朝鮮通信使」より) |
![]() |
5月4日 名古屋市・鳴海ー岡崎市 電車で出発地点の名鉄鳴海駅まで移動。高架化で新装された駅構内で出発式。デイリー参加者に並んでもらうと、何とその数が40人を越えた。ソウルの出発日以来の多い人数になった。地元の「緑区歴史を学ぼう会」「有松あないびとの会」「刈谷ふるさとガイドボランティアの会」の3団体の約30人がノボリやハッピを着て参加。日ごろから付き合いのある3団体ではこの日のウオークへの参加を募るためチラシも作った。一日参加者用に簡単なコース地図を毎日20枚用意していたが足りなくなった。コピーして昼に渡すことにして午前8時10分スタート。 橋口武男さん(87=三重県鈴鹿市/写真下右)が韓国・ソウルの出発日についでの参加。伴走ワゴン車の支援ドライバー・小瀬古さんの会社仲間で、いつもはランニングやウオーキングを楽しんでいる。内藤靖子さん(愛知県高浜市)は裕紀君(中2)、幸希君(中1)、風香ちゃん(小5)の子ども3人と参加した。おじいちゃんに誘われての参加だが、肝心のおじいちゃんは体調を崩して不参加。30分で旧家の続く有松に着く。藍染の産地で有松絞会館に立ち寄り、トイレ休憩。「ありまつ」と染めぬかれた暖簾がどの家にもかかっている。町並みを通り過ぎると2人、3人と地元の人が加わる。全部は歩けないが、二駅分だけ歩くそうだ。 10時半コンビニで休憩。今日は日差しが強く、みな日陰を探して休憩。アイスクリームが配られてほっと一息。参加者から小さいおにぎりをいただく。塩漬けしたサクラの葉を入れて作ったもので、香りと塩味がおいしい。11時過ぎに、3団体の参加者は歩き止め。知立市に入ると立派な松並木が続く。12時過ぎ、安城市に入り、白い花をいっぱいにつけた「ナンジャモンジャ(ヒトツバダコ)」(写真下左)の大木のある安城北部小学校に着く。地元紙にも紹介された有名な木。ナンジャモンジャは2年前の韓国一周友情ウオークで見かけたが、こんな大木は初めて。旧知の地元のウオーカー西川敦子さんから以前に写真を送っていただき、見ていたが、実物に対面して、素晴らしさに「納得」。近くの公園でお弁当の昼食。西川さんの所属する「碧海幡豆ウオーキング協会」のメンバーが冷たいトマトや果物を差し入れてくれた。午後からは風香ちゃんと宣さんが手をつないで歩く。(写真中)「お名前は?」と日本語で質問すると「フウカです」と答える。「兄弟は何人ですかー3人です」「韓国語は知っていますかーアンニョンハセヨ。ケンチャナヨ」。聞いた宣さんが目を細める。お母さんの綾子さんに聞くと、今日一日で皆さんから聞いて覚えたんですよ、と説明してくれた。 東京・日本橋からの距離表示「331k」が出てくる。岡崎市内に入ると、地元のボランティア・鈴木雅美さんが待っていた。岡崎市を紹介するタウン誌の元編集長。案内されて有名な八丁味噌の工場を見学。解説ガイドの藤井恵美さんが韓国語で説明する。W杯以来興味を持ち勉強しているそうだ。広い説明会場では韓国の民俗衣装を着た女性たちが伝統音楽で迎えてくれた。(写真上)在日三世の韓国人、朴恵子さんが友人の李慶美さんたちと作っているグループで、「21世紀の朝鮮通信使ウオーク」のことを聞き、「何か力になれたら」と計画してくれた。普段はお年寄りの施設などの慰問をしている。また和太鼓の力強い演奏も行われた。最後に行われた日韓の太鼓や楽器の共同演奏は力強くとても感動した。デイリー隊に参加証を渡し、岡崎城を通ってホテル着。夕食にはソウルから旧知のウオーカー金東聖さんが駆けつけてくれた。明日から2日間一緒に歩くという。うれしい限りだ。 |
![]() ![]() |
【朝鮮通信使 よもやま話】 |
![]() |
5月3日 一宮市ー名古屋市・鳴海 すっきりと晴れ渡り気持ちのいい朝の天気。昨夜は事務局メンバーの金是在さんが出張先の大阪で購入した「日韓交流の足跡たどる」という見出しがついた、このウオークの特集記事が掲載された朝日新聞を届けてくれた。民団愛知県地方本部の徐海錫副団長ら二人が激励に来てくれた。出発式で宣会長があいさつ。「通過してきた場所で見た通信使一行に関しての展示を見て、当時の日本の人々が暖かく迎えてくれたことがよくわかりました。今日も友情が深まることを願って歩きましょう」とあいさつ。今日のデイリー参加者はとても多く18人。2年前の「韓国一周友情ウオーク」の隊長・西川阿羅漢さん(愛知県安城市)が敦子夫人と共に参加。敦子さんは韓国語であいさつ。8時10分スタート。コースリーダーは隊員で地元(愛知県春日井市)の森智彦さん。ゴールデンウイーク後半初日とあって、鏡子夫人も応援ウオークにかけつけた。今日も美濃路を進む。連休初日の朝だが、交通量は少ない。西川さんはこの夏、北海道一周ウオークを計画している。すでに10人を越えるウオーカーが参加を希望している。「みんなの歩き方を見て驚きました。いつもと違い、早足で歩いている。これは相当訓練されたな」と話す。韓国での歩行スピードが時速6キロを越える時もあった、と話すと「なるほど」と納得。現在1日25キロ(朝と午後の2回に分けて)を歩いている。朝の時速は6・5キロというから驚く。 |
10時半、清洲城で休憩。朝日新聞の取材を受ける。広い道路の歩道を進む。痛い左足をかばうように崔さんが歩く。「韓国は何とか日本に追いつき追い越そうとしていますが、いつも日本は10年先を歩いていますよ」と日本語・英語を交えて話す。自転車に乗った中学生の野球部員が「アンニョンハセヨ」と通りすぎる。(写真下)韓国語よく知ってるな?。名古屋城の近くで「弁当組」と「うどん組」に別れて昼食。うどんを食べたいと希望していた崔さんらと讃岐うどんの店に入る。セルフサービスのシステムに宣さんと崔さんは目を丸くする。大、普通、小、の分量を選んで、熱湯に15秒つけ、天ぷらを選んで会計。めんつゆ(2種類)を選択し、ボタンを押す、刻みねぎ、かつをぶしをのせてテーブルへ。宣さんは興味深そうに写真を撮る。「崔さん、釜山でこのシステムで商売したら儲かるよ」と遠藤さん。加藤清正の銅像がある芝生に寝ッ転ぶ。 午後は広い歩道を暑い日差しを受けながら進む。日差しの気温は33℃。「シンジュ(柿科)」の街路樹が続く。建設中のコンクリートにコイノボリがかけられている。(写真上)熱田神宮近くの今日宿泊するホテルにザックを預け、身軽になって神宮の森へ。うまそうな匂いのするうなぎ屋には長い行列。美濃路と東海道が合流する「七里の渡し船着場跡」着。ここから西に向かう旅人は、かつては船で桑名に向かった。海を臨む公園には大きな常夜灯が建つ。(写真中)「宿駅制度制定400年記念=平成13年」と銘打った「東海道」の碑が街角に目立つ。午後5時前、名鉄鳴海駅着。歩行距離は37キロ。韓さんと大津さんが電車で迎えに来ていた。デイリー参加者に宣さんから韓国語と日本語でかかれた参加証が渡される。電車で熱田神宮駅に戻り、駅構内の売店で「寿司」やビールを買い込む。今日の夕食は自由食事。たまにはシングルルームで一人、ビールを飲みながらの「寿司」もいいものだ。 |
![]() |
5月2日 垂井町ー一宮市 昨夜泊まった大垣市から宿のバスで出発地・垂井まで移動すると、すでにデイリー参加者が待っていた。 今日もどんよりとした空模様。今朝の一口韓国語講座「ピゴ ナショスムニカ(お疲れでしょうか)」。地元で中山道の歴史を研究している太田三郎さんが朝鮮通信使の資料を持って説明に駆けつけてくれた。所要で一時帰宅している井上さんの「よもやま解説」がFAXで宿に送られてきた。遠藤副隊長が読み上げる。ストレッチ指導は大津武士さん。左足首を痛め、昨日は1時間足を冷やした。「やはりきちんとしたストレッチ体操が大事です」と体験を交えて話す。 |
|