5月1日
彦根市ー岐阜県垂井町
 雨、雨、風、風、風の一日でした。韓国・慶州以来の雨のウオーク。
 8時スタート。市街地を抜けるとカエルの鳴き声がうるさいくらいだ。30分で中山道に合流。10分ほど、きつい登り道を歩いて、9時摺針峠着。ここには通信使が書いた偏額があったが、平成3年の火事で焼失した。昔撮った写真をみせていただく。峠を下ると、風が一段と強くなる。傘は真横に向けて進むから前が見えない。高速道路下で雨宿り。気温は11℃。寒いわけだ。国道に出て、ドライブインで早めの昼食。醒ヶ井宿には雨森芳洲が詠んだ「水清き 人の心を 醒ヶ井や 底のさざれも 玉とみるまで」の歌碑があった。風はまずます強くなり、傘はたびやび「おちょこ」になる。東からの低い雲の動きが早い。山並みには水蒸気がどんどん、あがって行く。16時すぎ、JR垂井駅に到着、歩行距離は34キロ。

4月30日
守山市ー彦根市
 三条大橋のたもとで出発式。一口韓国語講座は「オンジェ トラガスムニカ(何時お帰りになりますか)」。
毎朝の「今日の朝鮮通信使講座」については、井上さんが所要で急きょ帰宅したため、届いたFAXを、遠藤靖夫副隊長・事務局長が代読した。今日のデイリー参加者には、東京からわざわざ参加した4人がいる。中山道を数年かけて歩こうと計画している、浅野実さん(58)のグループ。自分たちだけで歩くのでは面白みが無いので、何とか団体で歩く人たちをインターネッで捜し、このウオークを探し当て参加している。韓国でのウオークに参加した山下さんも自宅(岐阜市)が近いので、日帰り参加。滋賀県ウオーキング協会の副会長、安倍さんが今日のコースリーダー。
 朝8時スタート。振り替え休日とあって、交通量は多く、汗ばむような陽気。9時前に。中山道と朝鮮人街道の分かれ道に着く。野洲駅でトイレ休憩。白サギが舞い、古い民家が続き、雰囲気はとてもよく、睡魔も追いかけて来る。10時半、わかれ道に「」朝鮮人街道」の碑。田植え機」が動き、田植えが始まった。12時前、正使たちが立ち寄った本願寺八幡別院に着く。この寺は正史、副使、従事官が昼食に立ち寄った寺で、1711年、第8回通信使の従事官・李邦彦の「7言絶句」の書がの残されている。
 昼前に近江八幡市立資料館着。ここで観光ボランティアの吉田収男さんから説明を受ける。この道をなぜ「朝鮮通信使」の一行が通ったのだろうか。
@家康は財力のある三使に、財力のある近江商人に費用を負担させてご馳走させた・
A京街道(朝鮮通信使街道は家康が上洛した道)を、朝鮮通信使が通る街道に選択することで、自らの権威を示した
B賑わい、財力のある草津を見せる事で、幕府の財政はゆるぎなく、「繁盛」と「安定」の日本を見せようとした
 午後からは安土城址を見ながら、レンゲの花咲くのどかな農道を進む。支援ドライバーの国保sだんがtrをうって、激励。ゴールのJR能登川駅の午後3時45分着。歩行距離は28キロ。電車で彦根に移動。希望者だけで、宗安寺へ。朝鮮通信使の宿所で、イノシシや鹿肉を運びいれるために作られた「黒門」が保存されており、通信使が描いた肖像画のコピーが展示されていた。(写真下、左が黒門、右が赤門)
【朝鮮通信使 よもやま話】
この日のメインは」は、何といっても「朝鮮通信使街道」です。
この街道は織田信長が安土城を作る時に整備された、また家康が関が原の合戦で勝利した「吉例の道」としても知られている。この道は徳川家と朝鮮通信使のみ、特別に使用された。

4月29日
京都市ー守山市
 昨夜は、韓国メンバーの宣さん、韓さん、崔さん、朴さんの4人と川田さんと私が、ユースホステルの二段ベッドで同室。韓国語・日本語・英語の「チャンポン」が飛び交った。
 さてヒンヤリとして、強い日差しの三条大橋下の河川敷にはデイリー参加の人たちが待っていた。今日から3日間取材するため来日した韓国・東亜日報の記者とカメラマン2人も顔を見せた。今朝は車のナビゲーター桑原さんが所要でいないため、韓さんがナビゲーター役?で朝からワゴン車に乗り込んだ。ドライバーの国保(こくぶ)さんに「日・韓・英」の辞書をを渡す。河原の水際では自生のクレソンを、フランス料理のコックさんが上部を鎌で刈っている。硬い部分をカットして、伸びてきた柔らかい部分をサラダなどに使うという。 ウオーク仲間でこのHPにもリンクされている、竹樋泰治・益美夫妻が、ゴールデンウイーク休暇を利用して今日から1週間の連続参加だ。(写真中)今朝の一口韓国語は「オンジェ オショスムニカ(何時来られましたか)」。
 清田さんがコース説明。昨日の休養日を使って、清田さん、隊員の森さん、(大きい)阿部さんの3人が清田さんの車で、3日間のルート調査を行ってくれていた。かつての同僚。朝日新聞の南部カメラマンも撮影に来てくれた。  
  8時すぎスタート。ウオーク仲間の江平清さんが孫の谷口渉君(5才)を連れて参加。(写真上)途中で娘の知子さんも翠ちゃん(1才)を抱っこして、パパの均さんと参加した。1時間で小休止。竹樋さんが「麩まんじゅう」を差し入れてくれた。冷たくて美味しい。車が渋滞する国道を歩道橋で渡り、東海道の旧道へ。峠(逢坂の関)に差しかかると「大津まちなか元気回復委員会」の3人が待ち受けて、説明しながら先導してくれる。11時前に大津市街地に入り本長寺に着く。ここは朝鮮通信使の昼食場所や宿所になったお寺。奥の座敷に上がりお茶の接待を受ける。そこには朝鮮通信使がら「お礼」にと贈られた掛け軸がかけられていた。「中国の年号を使い、龍の爪が5本あります。(写真下)当時の朝鮮は中国・明の年号を使っていたし、龍の爪が5本あるのは国王だけが使えたもの」と井上さんが解説する。長い間朝鮮との研究を続けている船橋寛次さん(78)は「非公開でしたが、言い伝え、として朝鮮通信使から贈られたもの」と説明。
 大津駅近くの「渡来人歴史館」で昼食。歴史館が用意してくれていた。冷たいお茶のサービスを受けて説明を聞き、館内の展示を見る。ここでも東アジアの地図が、韓国・中国側から見た位置として描かれていた。今日は思わぬ招待・見学で少し時間が遅くなったので、午後は少しピッチを上げる。連休とあって琵琶湖畔はたくさんの家族連れやバーベキューを楽しむ若者たちでにぎわっている。珍しく私が先頭旗を掲げて歩く。速足で瀬田の唐橋へ。午後の休憩で、再び竹樋さんから凍ったモモの差し入れ。暑い日差しの中の歩行だけに冷たい果物がおとてもうまい。韓国の歩行では、韓国スタッフからたびたに「おやつ」の提供があって、日本の歩行ではどうしよう?と気をやんでいたのだが、うれしい誤算だ。草津市に入り、東海道・中山道の分岐点を過ぎると、街中はちょうど「宿場まつり」が終わりに近づいていた。雰囲気だけ味わって、足早に守山へ。通信使の宿所だった東門院の本堂は21年前の火災で焼け落ち、贈られた壷と掛け軸も焼失したが、写真だけは残り、今の子ども姿の住職と共に写って白黒写真で残っていた。歩行距離は35キロ。