2005.7.11
カブトムシが羽化したそうな。
オス二匹メス一匹、すこぶる元気です。
あとは残念ながら羽化に失敗してしまったようです。
2005.6.7
娘一家のアパートにカブトムシのサナギが六匹いる。いつ成虫になって出てくるのだろうか。そろそろ時期だと思うとちょっとドキドキする。
さて、このカブトムシのサナギ、なぜ娘のところにいるのかと言うと長くなるので・・・でも書いておこう。
我が家のお隣のおじいちゃん、と言っても元気はつらつでお若いのだ。野山が好きでよく出かけている。ある日、『おうい、なんか入れ物あ〜る?」と言いながら持って来たのがカブトムシの幼虫六匹。ギョギョギョギョ。ドウシヨウ。 『孫は今度はいつ来るんだ?』 山へ行ったら幼虫がいた、と言っているが、どうもわざわざ取ってきてくれたらしい。わざわざ行って取ってきたと言わないところがこのお人のテレなのである。だから私もそこを追求したりはしないのだ。
次の日曜日に遊びに来た娘と孫達は幼虫を平気でつかんでいる。腐葉土と土に埋めてアパートに持って帰って行った。その幼虫がサナギになっているのだ。やっぱりちょっとどきどきする。
翌日 『そんなもの持っていってお隣で迷惑してるんじゃないの!』と奥さんに怒られたおじいちゃんが様子を見に来た。喜んで持っていったと言うとにこにこっとした。
さて、角を持ったカブトムシが腐葉土から這い出して来たら、真っ先に報告せねばなるまいて・・・。
お隣のおじいちゃんに。
2004.9.19(日)
私の弟がくれた柿の苗が三年たってやっと実をつけた。いつ赤くなるのだろうと楽しみにしている。その柿を夫が田舎に移すと言いだした。何に邪魔なのかわからないが邪魔なのだそうだ。
私の心は通じてはいないのだと思うととてもさびしくなった。
それで思い出した。先月、イトススキの穂がもうじき出そうになっていた。イトススキの穂はちょっと小さくて赤っぽくて柔らかい色をしているのだ。もうじき見られる。庭にあるから穂が出てくるのを毎日見ていられる。私にとってとても幸せなひとときである。
そのイトススキを私の見ていないときに夫が根元からざっくりと刈り取ってしまった。私は葉が刈り取られた株を見て心底がっかりした。あと少しで穂が出たのだ。このススキには
ナンバンギセルが寄生していて花をたくさん咲かせるのだ。ススキの根に寄生して生きるこの植物はススキが枯れてしまえば生きていくことは出来ない。せめて株だけは生き残るようにと願った。
刈り取ってしまったものをもはやどうすることもできない。諦めた私は一言も言わなかった。来年ススキが生きていたら切らないように早めに言っておこう。
そして今月は柿のことになった。私はここに置いて欲しいと言った。半年に一度ほど鋏を持って庭の木の枝を切って回るだけの夫にとってどれほどの邪魔でもあるまいに。
大声で答えが返ってきた。『つまらないことに反対するな』・・・つまらないことか・・・。はぁ。
長年一緒に暮らしていてもこういうことが重なっていくと離婚にまで発展してしまうのだろう。
ひとりになりたくて腹立たしさを抱えて「ちょっと出かけてくるから」と車を出した。『どこ行くの〜?オレも行くよ〜』と言っている。そうなのだ、敵は私の心のなかの寂しさには気づいてはいないのだ。かまわずに走り出した。
多摩川に添ってさかのぼると玉堂美術館がある。その隣のレストランでお昼を食べてから川を眺めたらカヌー御岳杯をやっていた。観客がなかなか多い。綺麗な水の流れや歓声に癒されてなんだか笑ってしまった。
帰ろう・・・家を出ても一時の居場所しかないのだから。
家に帰って「ただ今」と言ったら『おかえりー』と言った。
2004.7.27(火)
久しぶりに庭の草取りをした。何気なく見た白蝶草の株の中に大きな芋虫がいる。思わず飛び下がったが心臓がどきどきしていつもより余計に打った。なにしろ10センチ位はあるだろうと思われる茶色で丸々と太った芋虫である。驚いたのなんの・・・。気を取り直してのぞいて見たらなんと2匹もいるではないか。これはきっとスズメガの幼虫に違いない。そのうちに羽化して家の中に飛び込んで来たりするのだろうか。飛び回って卵をあちこちにたくさん産みつけたらうちの庭は芋虫だらけに・・・それはごめんこうむりたい。どうする。
思案の末シャベルで深さ3センチほどの浅い穴を掘ってそこへおそるおそる2匹を放り込んだ。急いで土を被せて逃げて来た。
その後気になって気になってしょうがない。どうしたかな。もう死んだかな。思い切ってつぶしてしまえばいいんだろうけど、つぶれた姿を想像しただけで気持ちが悪くてそれはどうしても嫌だ。
「犯人は現場に戻る」・・・これはほんとだ。心理を正確に突いている。さて現場に戻ってドキドキしながら掘ってみた。ん?、いない・・・。穴を掘り広げて見たが見あたらない。これで殺芋虫者にならなくてすんだ。明らかに殺意はあったけど、ごまかしてしまおう。
ほっとしながら引き上げようとして白蝶草を見ると、2匹とも枝に登っているではないか。昔、絞首刑を執行されてから息を吹き返した受刑者は無罪放免になったと言うではないか。だが、スズメガ屋敷になるのはまたまたどうしても嫌だ。昨年はチャドクガに刺されてものすごく大変だったのだ。スズメガには悪いけど死んでもらおう。もはや私の腕は鳥肌だっている。
今度は10センチほどの深い穴を掘りシャベルで放り込んでしっかりと土を被せ、近くにあった小石を乗せた。
その後は見てないので逃げたのかどうかはわからない。あとは神にお任せしたらずんと気が楽になった。
夏椿の木に巣を作っているヒヨドリが下でうろちょろしている私を威嚇してギーギーと鳴きわめいている。それ、うちの木なんだから。
今ネットでスズメガを検索してみたら「土にもぐってサナギになり羽化して出て来るのだそうだ。もしかしたらサナギになる手助けをしてしまったのだろうか。ま、どちらにしてももはや過去のことである。
 |
2004.7.10(土)
左の写真のこのタイプのお人形で子供の頃に遊んだ人は50代から60代であろうか。わたしもおんぶしてままごとをした思い出がある。雑に縫われた人絹の洋服を着せられてボディの詰め物は木のパッキンである。(お腹のところに笛が入っていて横にするとママーと昔は音が出た)
この人形は最近手に入れたものである。粗末な人形だが昭和30年代のデッドストックと言うことで値段がなかなかである。
30センチほどの丈でなんと2万円を超えるのである。安物で子供のおもちゃだったから残っている数が少ないらしい。どんなに汚れているものでも買い手がつくのだからすごい。もっと大きいデッドストックだと5万円もするのがある。
おもちゃの人形は昭和30年代の後半になるとプラスティックだかビニールだかで作られたものに変わっていった。西洋風なカール人形やミルク飲み人形の時代になっていった。
カール人形は頭にビニールの金髪が植えられていて、小さなカールで巻いてお湯に浸けるとくるくるとした巻き毛になった。ミルクのみ人形はおむつを当てて置いて小さなほ乳瓶でミルクを飲ませるとお尻から出てきておむつが濡れた。
だが、どうしようもなく懐かしいのは左の写真にある布で出来た文化人形と呼ばれるものなのである。この人形を見ていると、物心つくかつかないかという小さな子供だった自分が確かな存在となって蘇るのである。 |
2004.7.6.(火)
「編集手帳」に
『 「閑吟集」に朝顔の歌がある。
「ただ人は情けあれ、朝顔の花の上なる露の世に」 』
と言うのが今朝載っていた。
「ただ人は情けあれ」 いい言葉だと思う。「情けは人の為ならず」という言葉があるが私はこの言葉は嫌いである。やがて自分の為になるから人に情けをかける、という発想の貧困さがまるで私自身のようだ。こういう貧しさが私の意識の中にあって時々苦しめられている。なにもことわざにすることもあるまいに、と思ってしまうのだ。
(意識的なものでなくても巡り巡って自分に返ってくるのだということは、今はおいておくことにする)
「ただ人は情けあれ」、この純粋さは輝いている。そうだ、それだけでいいのだ、それだけで。
お腹がすいたら食べればいいのだ。カルシュウムをとらないと骨粗鬆症になるかもしれない、などと舌を噛みそうなことを呟きながらもぐもぐしなくてもいいのだ。
また貧しい発想になってきて悲しい。