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     (ここは気まぐれ師匠のどどいつ講釈の番外編としての文献ご紹介講釈です)


参考文献紹介「作謡法いろいろ」


@ 掛け調

詠ずる言葉と(花鳥、物体、地名、ことわざ)などとかける。一語が複数の意味を持つことです。
例…・固い約束石山寺の 石の鳥居が崩る迄(古揺)
   夢がふくらむ心もはずむ 逢いに北山初紅葉(のぼる)
   帯も十勝にそのまま根室 落ちる涙は幌泉(サンケイ俚揺)

A 擬人法(体)

人間以外の生物又は無生物を人に擬して作るもの…・・つまり人事にひっかけて表現することです
例・…高い理想の梢の柿を 野暮なカラスが来てつつく
  滝の誘いに所詮は藤も 思う壷なら散りどころ(遥涯)

B 問答体

上句七七で問い、下句七五で答える
例・…鐘が鳴るかよ撞木が鳴るか 鐘と撞木の相がなる
  丸い卵も切りよで四角 物も言いよじゃ角が立つ(古謡)
  来いと言たとて行かりょか佐渡へ 佐渡は四十九里波の上

C 希望体

希望するものを詠ずるもの。
例・…磯の鮑に望みを問えば 私ゃ真珠を孕みたい(涙香)
  望む道なら進んでたもれ 名無し草さえ萌える春(のぼる)

D 口語体

口で言葉で話しかけるように詠むもの(日常語の使用・話し言葉)
例・…小夜さ嫁って桑摘む唄も 今年ゃ聞かれぬ段畑
  恋が百姓する気にさせた 野良着姿の似合う嫁

E 狂体俚謡

狂歌のように面白く、然も比喩して詠む。
例・…釈迦が教える渡世の秘術 指を輪にして見せ給う(露休)
  油高いと昼寝をしたら 米の高いのに子ができた(古謡)

F 引用法

格言や諺、古事、地名などを引用したもの
例(略)

G 叙情体

叙情とは感情味を含ませることである。即ち自分の感情、情緒を主観的に表現した詩の総体である。あまり工作しなくとも、そのまま表現して感情が含まれていればよい。
例・…逃げた女が残したものは コケシ人形がひとつだけ(草人)
  市へ売られてゆくとも知らず 仔馬可愛いや頬寄せて(乙音)

H 時事吟

時事吟とはその時々に起る、政治、経済、事件など、いわゆるニュース的なものを的確に捉え、風刺諧謔味をもって詠ずることである。例えば衆議院が一両日中に解散しそうだというようなときに
例・…永田町から政界メモが 翔んで陣笠走り出す(松華)

I 折句

折句とは七七七五の頭に指定された文字を詠みこむことである
例・…フナクボ(地名)      (注 どどいつはフクナボですね。そのままご紹介します)
  振った双六
  桑名で宿り
  名古屋港で
  帆を上げる(のぼる)
   
例……ムシホシ
  昔ながらの
  潮風夜風
  蛍飛び交う
  島の夏(黒潮)
折句の場合濁点があってよいのが通常である。

むすび(抄録)
俚揺は造花でなく、土に根を置く花でありたい。いたずらに技巧を弄することに苦心したり無理な理屈や、言いまわしに苦心してはいけません。机上の花造りでなく、苦心甲斐のある原のそこから産まれた自然の声を聞くような俚揺を作ることに心がけましょう。
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以上は、現代どどいつ教室が40周年記念誌として発刊した、『続・生きている七七七五』から転載したものです。原典は、昭和59年5月第二改定版として白樺社より発行された、堀のぼる著・「俚揺入門」という書籍です。この本から、さらに一部分を抜粋したものです。

現代どどいつ教室を主宰されていた中道風迅洞先生は、Dの口語体に疑問符をつけておられます。また、Iの折句については、風迅洞先生自身は清音と濁音は区別して混同してはならないと言う立場であることを付言しておられます。


   参考文献紹介歌の作法

  現代どどいつの創作を志す初心者のための手引きとして
  南天居美禄述・大正六年十一月及び同七年二月
  「有美の光」第二号・第三号に連載・横浜美連支部発行

情歌の作法(一)
初心の君の為め情歌の作法を示せよとの主任美蔦氏の所望により簡単に少し斗り書くことに致しました。

情歌は茶摘歌、船歌、田植歌、機織歌、馬子歌等の總称にして、七七七五音より成る一種の平民文学なれば決して六ヶ敷ものに非らず。、只初めて試吟の君に御注意は課題の遊ばぬようにするのが第一で凡て、自分が女の心に成って斯ういふ境遇の場合には何んといつて郎に報いやうか、何んと言て怨みを述べやうかと、腹案を定め、而して下の句の七五文字の中へ題を成るべく挿入して作成し、後ち上の句の七七文字が下の句の七五文字に無理に成らぬよう連鎖せしめて初めて一章とするを経路の順序とす、

段々練磨研究を積めば、自然に興味の出て名吟佳作と成るものです。因に初句と第三句目の七は八字でも差支ありません。

情歌の作法(二)

新年の祝詞を抜きとして、早速前号の続きを書くことにいたし升す、本文はほんの初心の君の手引草に過ぎないのですから、玄人筋は読まずも哉と御断り申して置きます。

情歌は他の平民文学。俳句、川柳、狂歌等十幾種ある雑俳中、獨り三味線の絃に乗るという特長がある、尤も往年文章美に重きを置きし時代もあつたが、自然消滅して矢ッ張り絃に乗せる特長があるんである。
故に七七七五文字の一章を細別する必要がある即ち

(1) 三四。四三。三四。二三。

(2) 四四。二五。四四。三二。

(3) 三四。五二。三四。二三。

(4) 四三。二五。四三。一四。

大別して右四種の排字法に拠らねばならぬ而して(1)は正調、(2)は準正調、(3)は変調、(4)は変々調で上方のよしこの節に往々この(4)の如き排字の文句がある。故に絃の間が縮んだり伸びたりし一聞あれが情歌かと疑問の耳を起こすことがある。


今(1)の正調として昔しから巷間に伝つて居るものを挙げて見れば。

潮来、出島の、真菰の、中で、あやめ、咲くとは、しほ、らしい

この排字法に適へば厭でも應でも絃に乗り謳ひ廻しも決して無理にならぬ。
又略して冠りと唱へる吟は五文字を上に冠らせるので、無くて成らぬ場合は至極結構ではあるが、無くても一章を成すものに対しては贅字と云はねばならぬ、

五、七、七、七、五、例へば

韓信が、股を潜るも、時代と時節、踏まれた草にも、花が咲く

と云へる如し併して絃に乗せる時は五文字冠りの方が、音声の調和がよく素直に聞こへる感がある、故に盃間芸者杯の謳ふ吟は十中の六七この五文字冠りを謳ふのが多いように思はれる。都新聞社のみはる、芋作、芦江の三先生は五文字冠りがお好きの様に見受けるが、謳ひ廻しの高尚から基いたものと思はれる。


また俚謡、情歌、都都逸を全然別物であると唱へている人があると聞きましたが、小生の意見とすれば、何づれも同じ一とつの種の米で。只御飯に炊いたり、萩の餅に搗いたり、団子に丸める丈けのことで、即ち俚謡はあっさりした御飯の如く、情歌は餡の甘き胡麻の味を添えた萩の餅の如く、都都逸は浮世を茶にした喜撰の文句じやないが世辞で丸めて浮気で捏ねての団子的のものである。
而して異身同体の三種にも名吟が澤山ある茲に二三を紹介して初心の君の参考に。

  俚謡
琴じゃ撫でられ、下駄では踏まれ、同し木と書く、桐ながら
嘶いて呉れるな、勇みの駒よ、今宵は忍ぶの、恋じやない

 都都逸
さんざ浮世を、茶にした果てが、利久煎餅の、小商い
それをあてには、千成り瓢ご、あんまりはなしが、うま印し

さて情歌は自分の頭に数萬吟の名歌が沁み込んで居ますから、何れを参考品としてよろしきや一寸選択に迷ひました。いつそ前年松本に美連分幹設立のとき手土産とした三ッ組の猪口に書讃した三すくみの吟を自負ながら掲げます、(名吟ではありません)

末は妾しの、親指なれど、かへる帰へすは、今の義理
怖い世間の、人さし指が、二人りを見込んだ、蛇のやう
小指と極れば、早蛞蝓の、ような可愛いい、角を出す

以上 聊か作家の栞となれば幸甚(終り)

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 ・・補足説明・・  ・・・オホン・・・・kaigenji

これは、決して「どどいつ」に関する決定的なというか奥義の書と言うわけではありません。ある一時期の一流派はこのように定義付けていたと言う、いわば「参考文献」です。

明治の御世からどどいつを文芸、芸術に高めようと努力された方は沢山居られたわけですが、当然の結果として多くの「流派」が生まれます。そしてそれぞれの流派が一種の掟、しきたりを作ると言うことになります。本文の中で「また俚謡、情歌、都都逸を全然別物であると唱へている人がある」と書いているのもその現われです。

この南天居美禄先生は、横浜美連という吟社に属されて「情歌」を旗印にされていたと言うことだと思います。その意気込みのすごさは「さて情歌は自分の頭に数萬吟の名歌が沁み込んで居ますから」に現れていますが、『数萬吟』とはまあ、いいも言ったりですな。

この美禄先生は、基本的な考えとして三味線に乗せて謳うのに最も適した七七七五音を追い求めるというスタンスを強調されていますね。その意味では現代のどどいつはむしろ美禄先生が否定的に述べられている「尤も往年文章美に重きを置きし時代もあつたが、自然消滅して矢ッ張り絃に乗せる特長があるんである。」が再度復活して、先生「あるんである」と力を入れたにもかかわらず、その特長は「失われつつあるんである」と言うのが現実でしょう。

ただ、この美禄先生は「俚謡正調派」がかたくなに三四。四三。三四。五。の音節を墨守してこの音節に合わない作を一切疎外しているのに対して「因に初句と第三句目の七は八字でも差支ありません」と説いておられます。この柔軟な考え方を中道風迅洞先生も高く評価されています。

また中道風迅洞先生は、七七七五音の排字の細別について(1)の正調は当然の解釈であるとして、『(2)の承句(第二句)を「ニ・五」に限定して準正調としておられるのは例句がないだけに初心者をまどわせると思うがいかが。

第一句と第三句の四四を許容するなら第三句は「四・三」にしたほうが素直である。たしかに、同じ七音でも三・四でもなければ四・三でもない音節の組み合わせはあるが五・ニまたはニ・五を「排字法」の規範とするにはいささか無理がある。結句の一・四も同様で、「アメリカへ」などは逆の四・一となる。その辺を割引して参考とされるようお願いしたい。』と述べておられます。                  
以上


中道風迅洞先生と 「とんち教室」と「とんち教室初期メンバーのご紹介です。 かいげんじ
                                   2000年10月02日 午後 6時50分メッセージ: 1297 / 1305

中道風迅洞先生は、NHKラジオの「とんち教室」のプロデューサーをされ、その番組で折込みどどいつをお題に取り上げ広く世間に紹介した方です。

先生の主宰した「現代どどいつ教室」は現役プロデューサーの頃、大病を患って入院した病院から始まりました。「三味線音楽と脂粉の香りにつつまれて育った二十六字詩が、口語庶民詩という一分野としての市民権を得るまでには、その詩をつくり歌うその道の仲間だけがりきんでみてもだめであって、一般の市民、会社勤めのサラリーマンや八百屋の隣の奥さん方にある程度「現代どどいつ」というものをわかってもらう必要がある」の信念で40年以上も続けられたのですが平成7年に先生ご自身や同人の方の高齢化に抗しきれず、惜しまれながら幕を閉じました。

先生は大正八年のお生まれですから既に80歳を超えておられますが、今でもお元気にラジオのどどいつ選者として活躍されておられます。

とんち教室初期メンバー

石黒敬七・長崎抜天・須田栄・宮尾しげを・三味線豊吉・橘ノ円(桂三木助)・春風亭柳橋・三遊亭金馬・木下華声・佐伯憲ニ・三益愛子・守田勘弥・矢野目源一・林家正楽・市川紅梅・内田誠・玉川一郎・並木一路・野坂相如・仁戸田六三郎・今井欣三郎・長谷川幸延・三宅藤九郎・三遊亭歌笑・鹿島孝二・村田正男・宮崎博史・柳家金語楼・伊藤逸平・伊志井寛・川田晴久・真野烈児・弓館小鰐・永井孝男・筒井芳太郎・田岡典夫・松井一郎・川上三太郎・桂右女助、

以上が昭和24年1月「とんち教室」開始以降最初の一年間に同番組に出演された方々です。

翌25年に加わった方々は、江口夜詩・岩佐東一郎・清川虹子・市川小太夫・小川哲男・正岡容・西崎緑・花園歌子・大辻司郎・岸井明・中原淳一の各氏だそうです。

中道風迅洞編・続生きている七七七五・より

橘ノ円が、二十四年四月に三代目を襲名したの前の名前です。風迅洞先生の本に注がいれてありました。
では、なつかし を折り込んで・・・・。

ながす涙にゃ
ついほだされる
かけよか情けを
思案橋

泣いて見せたり
つねってみたり
カモを相手の
したごころ

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