古典どどいつ紹介シリーズ 1「心意気」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/26 0:13
メッセージ: 130 / 5160

心意気という日本語ほどほかの言葉に置き換えにくいものは無いといったら、そんなことを解説するのは野暮だといわれた。その野暮がまたホンヤクしにくいではないか。野暮の反対は粋だろう。明治二十五年刊の『粋』に載っている都都逸「川竹ながらも節あるわたし金で操を買えはせぬ」これが心意気というものであろう。

一寸も はなれまいぞと 思うた仲は 主も五分なら わしも五分

丁とはらんせ もし半でたら わしを売らんせ 吉原へ

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より

私が私淑する中道風迅洞氏の著わした「風迅洞私選どどいつ万葉集」では古典都都逸を十一の巻に分類して掲載しています。それぞれの巻に添えられたコメントと各巻にあげられた代表的な都都逸を紹介したいと思います。


古典どどいつ紹介シリーズ 2「ごもっともの歌」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/26 0:14
メッセージ: 131 / 5160
 
どどいつは共感の歌、思い当たりの歌である。歳月を超えて凡俗の心を打つものはちまたに生きる仲間たちの本音のつぶやきである。すべての都都逸が心意気の歌であるように、すべての共鳴の歌は「ごもっともの歌」であると私は思う。

親の気に入り 私も惚れる 粋で律儀な 人はない

いろの恋のと さてやかましい 人のせぬ事 するじゃなし

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



古典どどいつ紹介シリーズ 3「恋ごころ」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/26 0:16
メッセージ: 132 / 5160


恋こころにコメントをつけるぐらい愚かなことはない。編者の蛇作(?)を付けるにとどめよう。
「まさか言えない燃えてるなどと このときゃ口惜しい年の功」

逢えば笑うて 別れにゃ泣いて うわさ聞いては 腹立てる

惚れて惚れられ なお惚れ増して これより惚れよが あるものか

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



古典どどいつ紹介シリーズ 4「未練」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 4:56
メッセージ: 133 / 5160


どどいつは未練の文学であり、また敗者の文芸であると私は書いたことがある。「未練」という無形の情動は「うしろ髪」という搬送波(サブキャリア)にのって、人の体から思いのある方角へ脱け出していくようだ。また風迅洞の蛇足一句。
「他人の空似とわかった背へ 未練がついてく五歩六歩」

おまえ正宗 わしゃ錆び刀 おまえ切れても わしゃ切れぬ

主は今ごろ さめてか寝てか 思い出してか 忘れてか

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



古典どどいつ紹介シリーズ 5「花柳艶歌」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 4:57
メッセージ: 134 / 5160

 昭和10年6月、日本の韻律を愛したジョルジュボノー博士が東京で行った講演のなかに、「都都逸は芸者という運河によって深く日本の伝統に滲み入り、切っても切れない関係にある形式で、人間の生活感情の表れとしては実に驚くべき豊富さを具えている」と述べている。「男と女」「女と男」の運河を歌い、運河が歌った情歌の真骨頂である。

笑うて悲しい 座敷をぬけて 泣いてうれしい 主のそば

お名は申さぬ 一座の中に いのちあげたい方がある

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



古典どどいつ紹介シリーズ 6「四季有情」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 4:58
メッセージ: 135 / 5160


鶯亭金升著述の『都都逸独稽古』の序に「俳題は情歌には無理なるものあれど四季より先にせざれば成らざるを以て今度春夏秋冬を出しぬ云々」とある。三十一字であれ十七字であれ二十六字であれ、日本の歌心の根底に雪月花はある。古典都都逸に一番多いのはやはり四季有情である。

咲いた花なら 散らねばならぬ 恨むまいぞえ 小夜嵐

露のなさけを ただ身にうけて 恋の闇路を とぶ蛍

軒の雫に 秋風しみて あわれもよおす 雁の声

雪の庭口 誰が踏み分けて 二の字くずしの下駄の跡

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



古典どどいつ紹介シリーズ 7「所帯哀歓」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 4:59
メッセージ: 136 / 5160
 
なにがなんでも添わねばならぬ 添うて苦労がしてみたい(音曲神戸節・ごうどぶし)
庭に散り敷く松葉を見ても 二人に添う日があるのやら(なみ路)
この二つの歌の間には百五十年の時の流れがある。「勤めする身のかなわぬ夢」も「浴衣二枚が物干し竿に」並ぶのもしがない女の土俵入りであった。所帯(世帯)という原点は、のちの現代家庭どどいつへとつながるのである。

苦労しとげた 嬉しい息を 火吹竹から 吹いて出す

夫婦喧嘩は 三日の月よ 一夜ひと夜に 円くなる

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



どどいつ 8「しゃれ・おどけ・笑い」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 5:12
メッセージ: 137 / 5160


短歌にも近づくことができるし、俳句・川柳の境地を歌うこともできる都都逸の振幅のひろさのなかに、よりストレートでものおじしない野性の笑いこそ、そして飾らないしゃれとおどけこそ、この詩型のしたたかな「とりで」の一つではあるまいか。これを本音で喜びながら建て前でしりぞける人が多い。そういう紳士へのショック療法の一つとして私の門下のケッ作をお目にかけよう。
「鳴らすおならの七つの音いろ 長く続かず中身でる(万茶)

主は二十一 わたしは十九 四十仲良く 暮らしたい

まさかそれとも 言い出しかねて 娘伏し目で 赤い顔

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



古典どどいつ紹介シリーズ 9「ばれ句・バレ歌」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 5:14
メッセージ: 138 / 5160


淫猥なことを「ばれ」という語源を私は知らない。どどいつのばれ句には、結び句の五文字でほこ先をそらす、一種の謎落ちが定石で、唄い終わって喝采が来るのはそこのところであり、歌い手と聞き手のうしろめたさの解放でもあるのだと思う。「春歌」と言えば何となく品がよさそうだが、もっと淫らでヒワイな共感は俗謡民歌、千古不滅の底流である。

二人手をとり 静かに乗りな 行くも行かぬも 棹次第

ゆうべしたのが 今朝まで痛い 二度とするまい 箱枕

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より



古典どどいつ紹介シリーズ 10「地名情歌」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 5:17
メッセージ: 139 / 5160
 
一言でいえば昔のご当地ソングである。今歌われている演歌の歌詞と古典都都逸の一句をつなげて歌えるのに気づく。例をあげるのは作詞者に失礼と思い、古い都都逸を二つ組み合わせてブルースを歌ってみる。
つもる話は世間もしんと 日本橋にも夜の月
心墨田に言問いたいと 寒さいとわず向島・・

どこの帰りと いざ言問わん 花見もどりの この団子

明石て嬉しく 舞子の千鳥 闇に須磨して 淡路島

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より

下のタイトル 古典どどいつ紹介シリーズ 9です。



古典どどいつ紹介シリーズ 11「新時代」
投稿者: kaigenji (49歳/男性/千葉県jp)
1999/ 9/27 5:19
メッセージ: 140 / 5160

 文明開化を迎えて都都逸はざわめきたった。明治十年代のおびただしい「開化どどいつ」本には自由、民権から電気、汽車、通信、洋装など洋風思想と生活風俗が氾濫した。そして情歌の中味はちつとも変わっていない。(この時期の多数の歌は)どどいつが時流をすくう二十六字の器であった時代の里程標といえる。

恋の重荷を 車にのせて 胸で火をたく 陸蒸気

わたしゃろうそく しんから燃える 主はランプで 口ばかり

中道風迅洞著・風迅洞私選どどいつ万葉集より

古典どどいつ紹介シリーズ おわり。



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