賃下げが日本経済を再生する

                    三和総合研究所 主席研究員 森永 卓郎

 九九年度の春闘交渉が本格化しはじめた。今年の春闘は、組合側がワークシェアリングの考え方から時短要求を前面に押し出す一方で、日経連が初めて賃下げの可能性に言及するなど、極めて厳しい環境下で攻防が行われることは確実である。ところが、そうした環境下にあるにもかかわらず、多くの組合は、賃金と一時金の要求を掲げて一円でも高い賃上げを獲得するという従来の要求スタイルを基本的に変えていない。

 日本経済が未曾有の危機に瀕し、新しい成長経路に向けて経済構造の改革が真に求められている今年こそ、春闘も賃金決定の仕組みそのものから変えていく必要があるのではないか。具体的には、従業員の雇用を保障することと引き換えに、賃下げを含む思い切った業績連動給を導入したらどうだろうか。賃金を犠牲にしてでも雇用を優先する賃金決定の仕掛けを導入するのである。そうすれば、日本経済が現在の苦境から立ち直るための大きな原動力となるに違いないというのが本稿での主張である。

 こういう主張をすると、すぐにひとつの反論が返ってくることが予想される。賃下げなどしたら、ただでさえ不振が続いている消費に一層悪影響が出て、景気が失速してしまうだろうという指摘である。確かに賃金を単純に抑制すれば、当然消費は落ち込む。ところが、賃金は下がったけれど雇用は確実に保障されているとしたらどうだろうか。

 現在の不況は心理不況だと言われる。実際、昨年前半まで雇用者所得は増えていた。それにもかかわらず消費がずるずると落ち込んでいったのは、消費性向が下がったからである。国民全体が、雇用不安に怯え、財布のひもを引き締めてしまったことが消費不振の原因なのだから、雇用不安が解消されれば、多少収入が減っても消費が回復する可能性は大きいのではないか。

 今回の不況で消費よりもはるかに減少率が大きかったのは住宅投資である。もう日本国民には買うものがないというのは嘘だ。我々は相変わらずウサギ小屋に住んでいる。できることなら、もっとゆったりとした快適な住まいを得たいと思っている国民が大多数であろう。しかも、家を買おうとする国民にとって、いまは絶好の環境が整っている。大都市の地価は、バブルのピーク時と比べれば三分の一近くまで下がっているし、建築費もかなり下がってきた。金利も半分以下だし、住宅減税も大幅に拡充された。バブル期と同じ負担をする覚悟があるのなら、四〜五倍の面積の家を買うことも不可能ではなくなっているのだ。にもかかわらず、家が売れない。それは将来の雇用が不安だからである。いつリストラに会うか分からない。そんな状況で長期の住宅ローンを組めるだろうか。いくらお買い得と言われても、住宅の相場が下げ続けている現状では、リストラでローンの返済ができなくなったら、家を処分するだけではすまない。家は値下がりするが、ローンは値下がりせず、借金だけが残ってしまうからだ。

 ところが、それでは実際にどれだけの人が本当に職を失っているのだろうか。バブルのピーク、一九九○年の日本の失業率は二・一%だった。昨年の失業率は四・一%だから、失業率の増加は二%に過ぎないのだ。しかしこの二%の失業増を侮ってはならない。九八年八月に社団法人日本リサーチ総合研究所が行った調査では、実に三分の二の回答者が今後一年間に自分または家族が失業する不安を抱いていた。たった二%の失業率増をみて、多くの国民が「明日は我が身」と思ってしまったのだ。

 しかし、企業の方からみれば二%の従業員をリストラするのも、賃金を二%カットするのも人件費削減の効果としては同じだ。今回の不況のなかで、二%の人が職を失う代わりに、労働者全体が二%の賃金カットを受けていたとしたらどうなっていただろうか。二%と言えば月給四○万円の人で八千円である。一日あたり二七○円。コーヒー一杯分に満たない節約で対応できるのだから、それによって国民が将来に不安を抱き、萎縮してしまうというようなことにはならなかっただろう。もちろん、これはあくまでも平均の話で、経営状態の悪い企業では、ずっと大きい賃金調整が行われる可能性は大きい。しかし、賃金調整が数割におよんでも、勤労者の生活が壊滅的な打撃を受けることはないのだと思う。

 昨年来、私は「ビンボー人」のインタビュー調査というのを続けてきた。舞台女優、サーファー、カメラマンなど、自分の好きなことを仕事にして、貧乏だけれど幸せな人生を送っている人たちである。彼らの話を聞き重ねて確信するに至ったことは、いまの日本では、単身者なら年収二○○〜三○○万円、家族持ちでも年収五○○万円もあれば十分豊かな暮らしができるということだった。食べ物は、その時その時の旬で安い素材を調理すれば大したお金はかからないし、着るものだってブランドにこだわらなければ驚くほど安い。家だって公営住宅に入れば家賃一万円のところがたくさんある。

 むしろ今の平均的サラリーマンがもらっている賃金こそがバブルと考えるべきなのではないだろうか。不況だ不況だと言いながら、今のサラリーマンが得ている賃金はバブルのピーク時よりも一二%も多い。加えて、国際的にみても日本の賃金は異常な高さになっている。製造業生産労働者の比較では、日本の賃金はアメリカより二割高、イギリスより六割高という数字になっているが、これは厳しい国際競争にさらされている労働者の話だ。国際競争にさらされていないホワイトカラーや規制産業の賃金はもっと格差が大きい。例えば欧米では金融機関の一般従業員の年収は六○○〜七○○万円どまりだという。日本は中高年ホワイトカラーに世界価値の二倍もの賃金を支払っているのだ。そんな高い賃金を守ろうとしているから、企業が競争力を失い、破綻に追い込まれてしまうのだ。そうなれば雇用保障など元も子もない。雇用安定を図ろうと思ったら、まず企業が存続しなければならないというのが、全てに優先する大前提なのだ。

 日本の企業統治は、株主よりも従業員を優先する方式だと言われてきた。不況になると、企業はまず利益を圧縮し、無配に転落してでも、従業員の雇用を守ってきた。しかし、付加価値に占める利益の割合はもともと小さい。今回のような深い景気の谷にはまりこむと、利益の圧縮だけでは足りずに結局雇用に手を着けざるを得なくなる。それで企業は、金融市場からも、従業員からも信頼を失ってしまうのだ。

 これに対してアメリカの企業統治はすっきりしている。企業は好況時にもリストラを継続し、確実に利益を出すことによって、金融市場からの評価を確保している。リストラにあう一割の従業員の雇用を犠牲にすることによって、残った九割の従業員の雇用を守っているのである。

 むろん、アメリカの企業統治にあやしいところがないとは言えない。数年前のニューズウィーク誌で米国のCEO達の給与が特集された。ずらりと並んだ彼らの写真の下には数十億円という天文学的な報酬が示されていた。もちろんそんな報酬を可能にしているのは自社株の株価に報酬がリンクするストックオプション制度だ。彼らが従業員のリストラを進めれば進めるほど、株式市場がそれを囃したて、彼らの報酬はどんどん増えていく。記者は特集記事の最後をこう結んでいた。「AT&Tの会長は彼以外の全ての従業員を解雇するであろう」。

 日本企業にとって、こうしたアメリカ型の企業統治を導入するよりずっと現実的なのは、雇用調整よりも賃金調整を優先することであろう。得られた付加価値のなかから、まず利益を確保して、きちんと配当を支払い、残った原資を従業員に公正に分配する。多くの企業で人件費は最大のコストだから、そこが自在に伸縮できれば、赤字に転落する可能性はほとんどなくなる。だから、賃金を完全な業績リンクにできれば、リストラそのものが必要なくなり、サラリーマンの抱える雇用不安は大幅に縮小するのである。

 賃金を犠牲にしてでも雇用を守るという企業統治は、産業構造調整を遅らせ、ひいては現在日本が進めようとしている経済構造改革を遅らせてしまうという批判はあるかもしれない。実際、昨年一一月に発表された緊急経済対策では、革命的とも言える政策転換が行われている。不況時に従業員を維持する企業に補助金を出していたのを、中高年を雇い入れた企業に補助金を出したり、職業能力開発や起業を積極的に支援するといった、円滑な労働移動を促進する政策に重点が移されたのである。

 しかし、雇用調整よりも賃金調整を優先する企業統治は、決して円滑な労働移動を促進する政策と矛盾しない。マーケットを失い衰退していく企業は、どんどん賃金原資を失っていく。そうなれば当然賃金水準が下がり、次々に労働者が成長産業へと転職して行くからである。賃金調整の場合がリストラの場合と異なるのは、労働移動が企業による強制で行われるのではなく、あくまでも労働者のイニシャティブで行われるということだ。賃金が半分になっても会社に残りたい人は残れるのだから、雇用不安を引き起こす可能性が圧倒的に小さいのだ。

 今春闘で、電機労連の一部の組合は「デジタル方式」と呼ばれる業績連動の一時金決定方式を導入した。こうした動きが拡大・深化していけば、賃金調整主導の企業統治が一般化することは決して夢物語ではなくなるだろう。

 もっとも、賃金調整を広めていくためには、重要な前提が一つある。それは企業の経営陣の処遇だ。米国の企業は容易に雇用調整を行うが、経営者自身も成績が悪ければ、即刻首を切られる。ところが、日本の企業の経営者達は、従業員に厳しいリストラを求めながらも、自分たちの雇用だけは終身雇用時代と同じままにしている。賃金調整を従業員に求めるのならば、経営層はまず率先して自らの報酬を半分にするくらいの覚悟が必要であろう。彼らが十分な報酬を受けてよいのは、会社の業績が完全に回復し、雇用不安も賃金不安もなくなった後なのである。